この世には、美しい物と醜いと感じるものがある
人間なら美人がいれば、美人とは言えない人がいる。
動物で良く見ると私の感覚では触りたくない動物もいる。
私は特に爬虫類が苦手です。
しかし、これらの生き物の姿も神のデザインの中から生まれてきたのだと思います。これらの生き物のDNAなりのプログラムを誰かが計画してデザインしなければ、この姿の生き物は生まれてこなかったと思います。
カエルくらいなら、まだ怖くもなく、少しはかわいいと思えるのですが、私は爬虫類の姿が苦手です。
しかし、この地球上にこれらの生物が存在するということは、それらの生物の形をデザインし存在させた神がいると私は思うのです。誰かが計画し、デザインなしでは、これらの形の生物が存在するとは思えないのです。
特に私が苦手な生き物はヘビなのです。このブログに画像を載せるのもいやなくらい苦手なのです。
しかし、ヘビだって神のデザインの一つでしょう。ヘビにもたくさんの種類があるのですが、それらも考えられて存在しているのです。
全ては表と裏、陰と陽が存在する。
美しい物の反対に醜い物
苦しみの反対に快楽
光の反対に影
しかし、どちらもあることによって、それぞれの値打ちがわかってきます。
人生において、病気があるから健康のありがたさが分かります。
そう考えると、病気も本当は有難いものかもしれません。この病気という状況も神の計画の中にあるわけです。暴飲暴食や飲み過ぎ食べ過ぎでおなかが痛くなります。痛くなることで、体に痛みが走り、食べる事飲むことを控えさせるしくみです。
義足の女性、美人コンテストで決勝に進出
イタリアのミスコンテストに出場したキアラ・ボルディさん(18)は13歳の時に交通事故で片足を失ったそうです。
この女性に対して、決勝を前にして、ボルディさんを悪く言う人がいたようです。決勝大会に進出できた理由を「体が不自由だから」出られたのだと悪く言う人がいたようです。これに対して、ボルディさんは、「私には、脚が無い。けれど、あなたたちには心と頭を失っている」とフェイスブックに投稿したそうです。
彼女の次の言葉は人の心をよく分析しています。「この悪意の背後にはあらゆる種類の失望と不満がある」ねたみのような心でしょうか。
次の言葉にも意味深いものがあります。「私は優勝することに興味はないけれど、劇的な出来事を経験して人生が変わった時(でさえ)、人生はそれでも美しいと世界に示すことに関心があります」と続けた。彼女は、事故で足を失うようような人生を変えるような大きな出来事にあった。しかし、それでも人生は美しい(素晴らしい)とみんなに知ってほしい。そういうことを伝えたかったのではないでしょうか。最初この文を読んだとき、劇的な出来事というのは、このコンテストの決勝戦に出られたことなのかと思いましたが、よく考えると、事故で足を失っても、人生には価値があると言いたいのだと思いました。
このように、すべての出来事にはどんな状況にあっても、生きる意味があると彼女は伝えたいのでしょう。
この話の場合も、彼女を中傷するという陰の部分があるから、よけい彼女の言葉の価値が際立ちます。彼女を中傷する人たちの発言と、彼女の言葉によって、他者は何が大切なのかを学ぶことができるのです。
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