みなさんこんにちは、すーさんです。
「ピンチはチャンス」という言葉を聞いたことがあると思います。
人生においては、何度かピンチだと感じることがやってきます。私も何度もピンチを体験しています。
しかし、ピンチというのは、必ずしも悪いことではありません。
周りから見れば、不幸だと感じることでも、その体験を乗り越えていけば、後になってから、そのことがあったおかげで、自分自身の魂が鍛練され良かったのだと感じることもあるのです。
ですから、自分に起きる全ての事は、神様からの贈り物だととらえることができます。
野口英世という人を知っていますか。千円札の肖像画に選ばれた人です。学校の図書館の伝記のコーナーによく置いてある本の一つを読んだことがある人もいるでしょう。1876年福島県に生まれました。1878年にいろりに落ちて左手に大やけどを負います。小さい頃はその手のせいで周りの子ども達からいじめられます。しかし、その後の人生で努力して医者になり、黄熱病の研究をした人です。この人の伝記を読むと、苦労は神様からの贈り物だと思えます。
今日は私の過去の一部を振り返りながら、そのことがどういう意味を持つのか考えてみたいと思います。
第二次世界大戦後何年もしないうちに日本に生まれた意味
第二次世界大戦が終わったのは、昭和20年(1945年)です。私は、それから、約10年ほど過ぎてから生まれました。もし、私がもう少し早く生まれていたなら、戦争時代を体験することになりました。私の父や母は戦時中のことを覚えていてその当時のことを語ってくれたことがありました。
戦争を体験することなく、平和な時代に生まれたことに感謝せねばと思います。
また、日本という国に生まれたことにも感謝せねばと思います。この国は世界の中で最も治安が良い国の一つだと思います。
落し物をしても、自分の所に帰ってくる確率が高いです。世の中には悪い人もいますが、正直な人も多く、落としたり忘れてきたりした財布がきちんと自分の元に戻ってくる国です。
世界には、未だに戦争をしている国や少年兵士にさせられる国があったり、独裁者の思いにかなわなければ簡単に死刑にさせられる国がある中、日本という国は本当に安全な国です。
どこかの国のように、個人が銃を所持しないと身を守れない国ではありません。
まれに、殺人事件が起きますが、そんなことが起きることはめったにありません。
小学生の自分を評価
学校の勉強に対しては、真面目だったように思います。友達ともサッカーするなど楽しく生活できました。学校まで4kmある道を毎日休まず通えました。時には、自分勝手な行動をしてしまって、先生から注意された出来事があり、未だにそのことを覚えています。その出来事から自分だけのことでなく、他者のことを考えて行動することの大事さを教わりました。
中学生の自分を評価
勉強とクラブに真剣に取り組めた自分でした。この頃が一番充実していたように思います。当時は、アイフォンやらアイパッドやらはありません。せいぜい白黒テレビ(カラーテレビがそろそろ出始めていました)があるくらいです。当時は、祖父が権威をもっていて、テレビは祖父が優先的に見ていたので、私が見られるのはその隙間時間くらいです。そのため、無駄な時間をテレビにとられることもあまりなかったのです。
これは今の子どもと比べて幸せでした。今の子どもは、見たければいくらでも漫画や動画を見ることができます。やりたいことが無限にできる今の環境は便利ですが、自己抑制のできない青少年にとっては、精神を鍛えるうえで、マイナスの面もあると思います。不便さや苦労の中に、自分の精神の鍛練ができるのではないでしょうか。
当時は録画するものがないので、録画したものを見ることもできませんでした。今の子は、いくらでもアニメを録画して見る事が出来ます。アニメは楽しいですが、自分の大事な時間がアニメや動画によって奪われてしまうのです。
そのような環境でしたから、不便さや祖父の厳しさのおかげで良い時代を過ごすことができました。
高校時代の自分
人生で、初めて挫折感を味わった時代でした。
高校時代というのは、本当はもっと楽しい時代であってもいいのではと、思うのですが、私にとっては「挫折」を味わう期間となってしまいました。
小学校、中学校時代は、勉強もそこそこできたのですが、高校になってからはなかなか思うように成績が良くならない状況になりました。後になって思えば、人間そんなに違いはないのだから、努力すれば良かったと思えるのですが、当時は、自分はどれだけやってもダメだと思い込んでしまっていました。それが、原因で大学受験を失敗し、浪人することになってしまいました。
私は、このことから、人間は挫折をするものだし、それも諦めず努力すれば乗り越えられることを学びました。
当時は、浪人生というのは、たくさんいてそれほど珍しい存在でもなかったのですが、私もその経験をさせていただきました。結構受講料も高く、親に経済的負担をかけてしまいました。
高校生の時に、将来どんな仕事をしたいというものがなく、ただ勉強すれば良いという考えだったのが意欲が持てなかった原因かもしれません。将来どんな自分になりたいのか、そんなビジョンを持つことが大事だと今になって思います。
今、この年齢になって、将来のビジョンはと、問われてぼんやりしたものはあるのですが、はっきりしていません。1年後、数年後はこんな自分になっていたいというビジョンを描くことは今の時間をどう生きるかに関わってくるので大切なことだと思います。
さて、高校時代が自分にとってどんな意味があったのか。以下のような事でしょうか。
人はうまくいかないこともあるものだと知る事。人は、お互いそんなに違いのあるものではないと知る事。努力すれば何とかなるものだと知る事。サボった分は、結局後で、やり直しをさせられるということ。
大学時代以降については少し省略します。
早期退職したことから得られる人生教訓
早期退職をしたいと思う時期がありました。当時、仲の良かった自分の同級生がなくなり、自分の父が死んだ年齢にも近くなり、仕事がうまくいっていなかったこともあり、自分に自信をなくしてしまっていたように思います。早期退職すれば、もっと良い暮らしができると夢を描いたのですが、結局どうなったか。経済的ピンチになりました。
1年間ほぼ無収入の期間がありました。妻の扶養家族になっていました。1年後には、かつての仕事と同様の仕事を始めました。年収は半減しました。
このことによって私は何を人生教訓として学んだのか。
高校時代にサボったために浪人してもう一度勉強しました。それと同様に、仕事から逃げてしまったために、もう一度同じような仕事をすることになった。つらいからとか苦しいからとかいう理由で逃げても、やっぱり苦しみは追いかけてくるのです。「苦しみは償い」ということを私はこのサイトで書いています。
この記事のタイトルを、「自分に起きることはどんなことも神からの贈り物」としました。早期退職は自分で選んだ道です。これによって経済的苦しみを味わいました。その時は、仕事の苦しみから逃れたのですが、経済的苦しみという別の形の苦しみを味わいました。しかし、このことによって償いをしているのだと思います。
人生には「希望」というものが大切です。いつも「償い」ということで思うのでなく、やはり生きていくには、将来に向けての希望がないと良くありません。将来こうなっていたい、だから頑張るというものがないと今を頑張れません。今苦しくても、将来こうなりたい、だから頑張るというものが必要です。人間は将来の夢のために頑張るのです。
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