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まさか、自分が原始から存在していたとは

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みなさんこんにちは。すーさんです。

今日は、自分の存在について語ります。

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まさか、自分が原始から存在していたとは

一体自分はいつ生まれたのでしょう。普通は、この世に生まれた誕生日を自分が生まれた日としますよね。誰もあの世があって、自分は、この世に生まれる前にはあの世にいたという人は少ないです。もし、いたとしても、「それならあの世でどんなくらしをしていたの?」と、聞かれた答えられる人はまずいません。

この世に生きる人は、この世の記憶しかないからです。輪廻転生という概念においては、人間は、繰り返し、この世とあの世に転生して生まれるというふうに考えます。その場合、人間が最初にこの世に生まれてから、個としての霊となり、その後この世をさってからあの世で生活し、時期が来たらまた、この世に生まれるという考えがあります。

しかし、シルバーバーチによると、同一の魂というよりは、自分という霊の別の部分が再生し、さらにあの世に帰ってから再びこの世に再生するときは、また、別の部分が再生すると言われています。

これは、一杯のコップを今世の自分とするならば、そのコップの水が大きなバケツに戻され、また、ふたたび、コップですくわれた別の水が再生するという考えです。

今回のテーマ、「まさか、自分が原始から存在していたとは」についてです。これはどういうことかと言うと、個として、自分が始まるのは、この世に人間として生まれたときですが、宇宙の神の意識の一部であったときは、実は、神と共に原始から存在していたということです。自分という意識はないのですが、神から分霊として命を与えられる以前は、神と共にその一部として存在していたということです。ただ、自分という意識がないため、自我を感じることなく存在していたのでしょう。

そのように考えると、自分の霊としての意識は神と共に永遠の過去から存在していたと考えることができるのです。但し自我のない神の一部であったのです。

そういう考え方をすれば、すべてのものは原始からあったということができます。例えば、鉄でできている車のボディのもとは、鉄鋼石です。今、目に見える車の形は車が作られてから存在するのですが、その車のボディの鉄は、鉄鉱石の時代から存在していました。鉄鉱石として、何万年も前から存在していたのです。

私という存在は、肉体をもつ以前から、魂として神から生命を頂いています。個を意識したのは、この世に生まれてからかもしれませんが、個を意識する前は神の一部として自我を意識することなく神の一部だったということです。

すなわち、この世に生きる人は、もともとは神様の一部であったのです。

神様の一部であったのですから、もともと神と同質のものをもっていたわけです。ところが、個として自分を意識し始め(人間として誕生)ると、他と自分を分けて考え、自分中心の考え方をするようになります。自己保存をしなければ生きていけませんから、自分を守るために様々な活動をします。

ところが本質は霊であり、神の分霊なのです。人間は神の摂理の中で生きています。

因果律の法則、償いの法則、埋め合わせの原理など様々な法則(原理)が用意されています。人間は自分勝手な生き方をすれば、苦しむようにできています。そして、本来の霊としての目的に沿うように修正されてより、本来の神としての霊性が目覚めるよう仕組まれています。

 

神様
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