ある高校の大事にしていることは、自主的で自律(自立)した高校生活です。
この高校はクラブに力を入れています。
ところが、「自主的」「自律」「自立」ということは良いことなのですが、
この高校の生徒は私が思うように勉強をしないようです。
学校も、生徒に対してあまり宿題を出しません。
一方、昔から進学校と言われる別の高校は、毎日の課題も多く、土曜日さえもその宿題などで終われるようです。バラ色の高校生活を夢見た生徒にとって、この勉強で押してくる学校はかなりハードです。
この進学校は、普通科、理数科とあり、理数科の場合は、普通科よりもう1時間授業時間が多いのです。普通は1限から6限ですが、当時、0限とか7限というのがありました。夏場は、0限と言って、普通科が授業を開始する前に1時間余分に勉強をします。冬場は、7限があって普通科の6限にもう一時間増えた学習時間がありました。
ところが、自主自律をとなえるある学校ではあまり課題は多くありません。それよりも、クラブをきちんとすることに力を入れているようです。
息子の場合、近い学校だったことと、息子の希望した学校だったのでこの高校に行かせました。息子は、勉強というよりゲームの方が大事ということで、学校から帰ってきてからの多くの時間をゲームに使っています。
正直、私はこんな息子の生活を良いとは思っていません。自主的に、自分を管理し、自分の将来の夢に向かう努力をしてほしいと思っています。
しかし、自分に甘い息子は、ゲームにのめり込んでいます。
昔私は、あまりの課題の多さに進学校よりもう少し偏差値の低い学校の方が良かったのかもと思いました。
今、息子の姿を見ていると、自主自律という言葉と裏腹に、怠け者になってしまった息子がいるのです。
人間は、自分に対して自主自律というルールをかし、それを実行することがつくづく弱い生き物だと思います。
某進学校のように、生徒を学習で鍛えることは、人間の弱さを知っているためかもしれません。今の社会において、携帯電話も持っているのが当たり前のような時代において、一昔前のように、忍耐とか努力とかいう言葉はなかなか入っていきません。
ヘレンケラー、野口英世、二宮金次郎というような、いろいろな苦労があってもそれに耐えて乗り越えていくという話は、関係のない世界のようです。
人間は苦労しないと成長しません。なぜでしょう。苦しみと戦い、一生懸命困難を乗り越えると魂が鍛えられます。
苦労することは悪いことではありません。苦労するからこそ魂の成長があるのです。
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