宇宙がなぜあるのでしょう。
しかも、その果てを誰も見たことがないような広さ。果たして果てというものがあるのかどうかもわかりません。ビッグバンとい宇宙起源説によれば、無の世界にある日突然ビッグバンが起こって宇宙が膨張し始めたという話。
無だったのに、その後宇宙ができて、地球ができる。
もし、無ということは何もないということ、そんな宇宙に物質という無でないものができる。
0は0であり、1ではない。
しかし、E=MC²ということなら、M=E/C² という式がなりたち、物の質量はエネルギをC²で割ったものという公式ができる。(Eは物質のエネルギー。mは物質の質量。cは光速を表しています。)
エネルギーは目には見えないけれど、エネルギーがあれば、物質が生み出されるのかもしれない。
さて、ある人がこんなことを言っていた。
初めに神がいた。神は、自分の分身として人間を生み出した。人間は神の意識から生み出された分霊だというのです。
この世に生きる人間の体の中には、霊がやどり、転生を何度も繰り返しながらその霊性を高めていくように仕組まれた。
人間は何度もあの世とこの世を行ったりきたりしながら霊性を高めていく。霊の世界はいごこちがよいが霊性の進化というのは、人間として生きたときの方が霊(魂)の意識の成長には良い。あの世の霊の世界は、霊性の高いものは高い世界に住み、低い物は低い世界に生きる。しかし、この人間界は、霊性の高い人も低い人もともに生きる世界なので、人間は生きるために苦難を味わいながら生きる。苦しみも喜びもあるから魂は必然的に磨かれる。
西暦2023年になっても、未だに地球上では戦争をしている。人間同士が殺し合う世界がこれまで何度もあったことを知っているのに、独裁者が戦争を決断したら、国民は逆らうこともできず、戦地に赴いて死ぬ。
そんな地上界であっても、人間は神が用意された地球という世界において生きている。
人間にどんんあことがあっても、それは、この世の修行ということ。
人間にとって「苦難」とは、霊性を向上させるための「修行」だというわけです。
何の苦労もなく、生きていたのでは、成長はないという。
「禍福は糾える縄の如し」(読み)「かふくはあざなえるなわのごとし」
苦難は過去における自分の業の精算であり、魂を磨くためのものです。
今自分が体験していることは、それは、過去からの原因に対する結果ですが、それは同時に真の自分への一歩ということです。


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