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スティーブ・ジョブズから学ぶこと

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アップル社のジョブズ

アップル社のコンピューターを開発した人と言えば、スティーブ・ジョブズ。

iPhoneは今でも人気があります。私も使っています。

iPadは、私の息子も使用していますが、これは、2010年に発売されました。今から9年前です。

この歴史的人物は、2011年の10月に56歳で、この世を去っています。膵臓癌、肝臓癌という病気のために亡くなっています。

このジョブズは私たちに人生についていろいろ教えてくれています。

スティーブは1955年2月24日生まれです。

そして、2011年10月5日に亡くなっています。56歳でした。

スティーブの人生から学ぶことも多いのですが、スティーブの言葉からも心に残る言葉があります。

「もっと大切な何か他のこと。それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。

神は、誰もの心の中に、富みによってもたらされた幻想ではなく、愛を感じさせるための「感覚」というものを与えてくださった。私が勝ち得た富は、私が死ぬ時に一緒に持っていけるものではない。

私があの世に持っていける物は、愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ。これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの、あなたの道を照らしてくれるものだ。
愛とは、何千マイルも超えて旅をする。人生には限界はない。行きたいところに行きなさい。望むところまで高峰を登りなさい。」スティーブ・ジョブズの言葉より

お金で言えばありあまるお金を手に入れた人です。そのジョブズが病床にあって思ったことは何か。

彼も神の存在を認めています。あの世についても認めています。「私があの世に持っていける物は、愛情にあふれた(ポジティブな)思い出だけだ」と述べている所からジョブズの考えがうかがい知れます。

お金に対しては、お金とか富とか満たしても単なる事実であって何も意味がない。追い求めるべきものは富ではなくて、愛情あふれた思い出である」

と、言っているのです。

巨万の富を得たジョブズだからこそ言えるのかもしれません。貧乏な私たちは、生活に困らないだけのお金は必要なものとして認識します。

しかし、そんな私たちもいざ死ぬとなったときに、考える事は、いかに人生において本来の自分の願いに沿って生きてきたかということでしょう。

ジョブズは次のようにも言っています。

「あなたの時間は限られている。

だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。

ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな

それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。

他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい

そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい

それはどういうわけかあなたが本当になりたいもの

すでによく知っているのだから。

それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。」

自分の中の心が何を伝えてくるか。直感は何を感じるか。

定年を過ぎる年齢となり、自分が本当になりたいものが何なのかを考えています。

スティーブ・ジョブズの人生

スティーブの誕生は、1955年2月24日

父はシリアからの留学生で大学院生アブドゥルファター・ジャンダリ。母は、アメリカ人の大学院生ジョアン・シーブル

ジョアンの父親が結婚を認めなかったため、スティーブはポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻の養子となる。

スティーブが生母と再会するのは、スティーブが30歳を過ぎた1986年である。ジョブズはその時に初めて自分と血を分けた妹に出会った。母と離婚した父とは会っていない。

このように、ジョブズは実の父母に育てられたのではなく、養父母に育てられた。

幼少以降のジョブズ

6歳のジョブズは、先生が困ることをするような子だった。

11歳の知能検査で高校2年レベルで、1年飛び級で中学に入学。その後登校拒否になって、別の中学校に転校。

高校時代には、オリジナルなブルー・ボックスという長距離電話をかける装置を作った。

リード大学へ進学。宗教や座禅に惹かれたジョブズ。興味のない必修科目を履修することに疑問を感じ、大学を中退した。

しかし中退後もリード大学のキャンパスを放浪し、空き瓶拾いなどで日銭を稼ぎながら、興味ある授業を受けて合計18ヶ月をリード大学にいた。

大学中退後、アタリというビデオ会社に入社。アタリを退社してからインドへ。

インドに失望してから禅を学ぶ。その後アタリに復職。

ウォズニアックとジョブズで「Apple 1」というコンピューターを1976年販売開始。

1977年、インテルの中級社員のマイク・マークラを加えて「アップルコンピューター」を法人化させた。この後、マイク・スコットを社員として取り込み、アップル2を販売。この開発には、ウォズニアックの能力が大きく貢献している。

1980年代以降については後日。

人生
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