テレビを見ていたら、写真家の方が撮った戦争によって孤児となった人やその子ども達の写真が写っていました。
ある1枚は、涙をポロりとひとしずく流す少年の写真でした。
その子は、家族を守ろうとした父親が家族の前に立ちふさがり、父親が目の前で顔に7発の銃弾を打たれたそうです。写真家がカメラを向けたときには、その少年は泣くつもりはなかったようですが、思わずその事を思い出し泣いたようです。
私たちと同じ時代に生きていながら、まだ、そんな戦争を体験して生きている子どもたちがいるのです。
人間は、同じ神の子なのに、そういう悲しみを同胞に感じさせているのです。
人間の歴史は、同じ人間同士を殺し合うという悲しい歴史をこれまでずっと続けています。
神は本当にいるのですか。
それでも、私は神はいる(いらっしゃる)と思っています。
人間の歴史は、ある意味人殺しの歴史です。第二次世界大戦後ようやく人権が意識できる社会に日本はなりつつありますが、世界のレベルで見ると、まだ人権が尊重されない国もあるようです。
一部の独裁者や金持ちだけが優遇される社会がほとんどと言ってよいように思います。
しかし、幸せかどうかはお金持ちかどうかということではないはずです。
貧しくても、幸せを感じることはできるはずです。生活が苦しいながらも、家族が協力し合って支え合っていれば幸せを感じることはできるはずです。
本当の幸せは、どれだけの収入があるからではありません。貧しければ貧しいなりに家族がその現実を受け止め、ともに助け合って生きるかどうかです。
ただ、世の中は経済的に十分ではないうえに、家族の関係も良くないという場合もあるでしょう。
そんな場合は、それを修行と受け止め耐え忍び、頑張るしかありません。
絶えられなければ、離婚というような方法もあります。
人生は、「修行」の現場なのです。
神はいらっしゃるのか
人間の複雑な体の構成は偶然にできてきたわけないと思います。
地球が一日一回自転するのも、太陽の周りを1年で1回まわるのも、すべて偶然に起きたはずがないのです。
すべては、神の計画の元に、計算されつくして行われているのです。偶然に奇跡的なことが起きているわけではありません。
私たちがあることをなそうとするときに、計画をたて、それを元に行動に移します。例えば、家を建てるときに、適当に木を組み合わせて作っているわけではありません。計画書があって、その計画書に基づいて、決まった場所に、決まった木材やパネルをはりつけていくわけです。決して思いつきで家を建てているわけではありません。この地球の環境も同じです。地球上に住む、動物、植物、鉱物に何を存在させるか。地球の自然環境の調和のために、月が必要として用意さいれているわけです。たまたま、月が地球の周りに現れたのではなく、地球には必要なものとして、計画して用意されたのです。
自分が今ここに生きているのも、神が計画して存在させているのです。偶然に存在したのではなく、その存在も神の計画の一つなのです。
コメント