誰だって、地震や津波で死にたいとは思いません。まだまだやりたいことはあるから生きたいと思うのが普通だと思います。
ところが、もし、そんな災害で命を落とすことになっても、それが不幸だとは限らないという発想があります。
この世に生まれてきたとき、「今度生まれたら、こんなふうにして自分の魂を成長したい。」とか、「こんなふうにして人々を救いたい」などという高尚な願いを持って生まれてきた魂がたくさんいると思います。
最近は、2025年7月5日に、フィリピン辺りで海に異変が起きて、大きな津波が来るかもしれないというような話まで聞きます。これは「たつきりょう」さんという漫画家が東日本大地震を予知夢で見て見事当たったというところから、そのたつきさんが新たに出した漫画本によって信じられています。
仮にその予言が当たったとしても、それを恐れる必要はないと思うのです。もし、そこで死ぬような運命だとしても、それはそうなるべくしてなったと考えた方がいいと思うのです。地震や津波で死んだ人はみんな不幸な人だと思われたら、死んだ人はみんな運の悪い不幸な人だという判定が下されますが、実は、死んだ人はあの世で幸せに暮らしているということもあると思います。
タイタニックで沈没した船に、多くの天使が沈み行く人々の魂を救いに向かったという話をどこかで読みました。何かによって命を落とした人がいたとしても、そのこと自体でその人が不幸だということではない。と、考える方が良いと思います。
交通事故で命を落としたら、まだまだ生きられたはずなのにかわいそうだと普通思います。
交通ルール無視の人によってその被害者が亡くなったら、当然、ルール無視で人の命をうばった人は裁かれます。しかし、事故で命を落とした人はその後も不幸のままかというと、そうではないと思うのです。今世において、事故で命を落とすという不運な出来事に遭遇したかもしれないけれど、魂としては不幸になっていないという考えです。
人間には、償いの法則とか、埋め合わせの法則とかあります。
このことについては別のページで紹介しています。
全ての出来事にはプラスとマイナスはセットであると考えればどうでしょう。コインには裏と表があります。いいと思えることの裏側によくないと思えることがあるのです。
この世において、これは辛い、失敗だったということがあったとしても、それは、よりより自分自身の成長のために必要だった出来事だという考えができます。
話を元に戻します。今、2025年には大きな地震が来るだろうという予言があちらこちらで言われています。そのために、いろいろ準備しておきましょうという話も聞きます。
確かに、もし、大地震が来たら、水道が止まるかもしれません。そのために、予備の水をいくらか用意することはいいかもしれません。食料もいくらか余分に用意できるならそれもいいかもしれません。ただ、そうは言っても、一般の家庭が何か月もの食料や飲料水を準備できるわけではありません。もし、用意しても、津波で家ごと流されたら全ては消えてしまいます。
その時は、運命としてあきらめるしかないです。
人生はなるようにしかならないということです。
いたずらに未来を恐れるのではなく、未来に希望をもって生きることが私たちには必要だと思います。

コメント