日本国においては、死刑という制度は2019年現在もあります。
この制度によってオーム真理教で有罪とされた人が2回に渡って13人が死刑となりました。第1回目は、2018年7月6日に7人の死刑が行われ、続いて2018年26日に6人が死刑になりました。
この死刑を執行するいきさつはいろいろ政治的な理由があったと思います。
サリン事件で家族を失った人からすれば、オーム真理教で事件を起こした人たちは大変憎い存在で、死刑を望んでいたかもしれません。
一方で、これらの人たちは、もともとは真面目な人たちで、間違った教えのために犯罪を犯してしまった可能性があります。
世間や真実というものを見る目が育っていなかったために、上からの命令に従ったのでしょう。
これは、日本という国がかつて戦争を起こし、上の命令に従い外国の人を殺害したことに似ているものを感じます。
組織とか国家というものの一員になると、そこでその社会におけるルールに従わないと、自分の存在さえ危うくなり命令に従って他者に危害を加えるという構造。
戦争によって外国人を殺し、未だに日本の行った戦争を恨む人がいます。
北朝鮮においても、上層部の命令で生活に苦しむ人が国から出ようとすれば、簡単に撃ち殺されるということがあります。
確かにサリン事件を起こしたことは許されることはありません。しかし、死刑制度には、私は賛成できません。
今回、死刑執行を命じたのは女性の大臣でした。しかし、もともとこの人も死刑には慎重な姿勢だったと聞きます。しかし、この人の一存で決めたというよりは、周りからのいろいろな働きかけにおいて、死刑執行の命令を下したように思います。
13人の命をその人の命令によって最終決定がくだされるのです。役職だからとしても、人の命を絶つことを最高責任者として指示することは大変なことでしょう。普通の人間だったら、本当にこれで良いのかという自問が起こると思います。もし、この時の法務大臣は別に何も思わないというのであれば、私は本当ですかと疑問です。もし、私が法務大臣だとして、13人に死刑執行の最終指示を出せと周りからいろいろ言われたらどうでしょう。
私は指示は出しません。サリン事件を起こしたことは罪です。しかしその人たちもこの世に生まれてきたときには、神の子としての使命を感じながら生まれたでしょう。
人の生死は、人間が人為的に操作しなくても死ぬときには死がやってくるのです。
恐らく、この世に生きる人間は前世において兵士として生きた人がいたのではないかと思います。その人たちも、上の命令に従い殺し合いの登場人物として生きた過去があるかもしれないと思います。
例えば、日本においても戦国時代というのがありました。平氏と源氏の時代。鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、昭和の戦争と、人が人を殺す時代がどれだけたくさんあったでしょう。
これらは決して良いことではありません。しかし、当時兵士として動員された人は上の命令には逆らえない環境にあったと思います。逆らえば、本人だけでなく、家族までも巻き添えになったことでしょう。
今回のサリン事件も同様だとは言いません。しかし、人間というのは、その環境におかれたときに、その渦の中から出る事は出来ない状況だということは予想できます。
人殺しは犯罪です。絶対やってはいけないことです。しかし、一旦戦争となると、それが正当化され人殺しが行われるのです。
国による死刑制度を論じるとき、やはりこれは国による殺人だと思います。絶対やってはいけないことを国という形をとれば正当化されるのはその制度だから許されるのでしょうか。
司法大臣となった人は最高権力を持つわけです。その人に死刑制度に対する自分なりの考えがあり、これは許せないという考えがあれば、許可しません。許可しなければ、その役を降ろされるとしてもこれだけは譲れないと思っているのなら許可しないでしょう。
外国では死刑制度を反対する国もあります。日本はそういう国になっていません。被害者の心情はわかります。
人を殺した者には死を与える。目には目を、歯には歯をという精神です。
ただ、罪を犯した人は、因果応報という因果律があるので、国が裁こうが裁かまいが、その報いは必ず受けるものです。
ある国の中心人物となっている人は多くの人を殺害することを命令していると思いますが、そのしたことに対して、今世、そして来世をかけて償いの運命が待っています。
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