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この世で何を失おうとも、それは体験に過ぎない

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自分という存在は、霊と肉体の両方を併せ持ちますが、死んでも残るものは自分の霊です。

肉体はこの世を体験するための借り物というわけです。

借り物ですが、この肉体がないことにはこの世での体験ができないのですから、死ぬまでは大事に扱わなければならないものです。

貯金や土地などの財産もこの世だけのものです。どれだけ多くの不動産を持ち、多くのお金を持っていても、死ねばこの世においていくものです。結局これも借り物というわけです。

大金もちになった人も、一時的に自分のものとして所有しても結局地球に置いていきます。

結局は、人間にとって重要なことはこの世における人生体験です。何を持っているかではなく、どういう体験をして生きたかということです。

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神は、人類がパソコンを開発することを予想していたか

パソコンを使っていろいろ作業します。ネットを使っていろいろなことができます。これにはメリットもありディメリットもあります。

車社会になったとき、その便利さと同時に車によるマイナスもあります。

便利さを人間は追い求めますが、その便利さとは別にマイナスとなることも生まれます。

神がパソコンや携帯電話などの便利なものがこの地球上にできることを既に昔から知っていたかといえば、分かっていたでしょう。

人間はその便利さを体験しても、同時にマイナス面についても知る事になります。

自分について向き合えば、自分をきちんとコントロールできますが、楽しさだけを追い求めれば、大事な時間を無駄に過ごすことになります。しかし、それを乗り越えるのも人間です。

「何の代価も支払わずして入手できるものは、この地上界には一つもない」

これもシルバーバーチの言葉です。「人間はその内部に何よりも貴重な神性という富を宿しています。大霊の一部です。地上のどこを探しても、それに匹敵する富や宝は存在しません。その魂の内部の鉱脈をいかにして探査し、肉体的本性の奥に埋もれたダイヤモンドを引き出すか」(シルバーバーチの言葉より)「人生のいかなる局面に際しても、自分は大霊であるがゆえに克服できないものはない」

このように人生をとらえるとき、自分の目の前の困難は全て乗り越えていけるものです。

「地上界で生じる難問には人間の魂に内在する霊力で克服できないものはない」とも、シルバーバーチは言っています。

霊的真理の学び方

シルバーバーチは「出来ることなら愛と奉仕の精神を通して霊的資質を発揮する中で学んでほしい」といいます。しかし、摂理に逆らった手段によって痛い思いをしながら学ぶこともあるのです。これは、多くの人が経験しているでしょう。無知なためにそうなるのです。

人生の大まかな計画書は作成されている

こういうことが言われています。生まれる前にあらかじめ、大まかな人生を計画してから生まれるということです。

私はこの考えについて少し疑問があります。人間には、初めて人間となり生まれた霊もあれば、再生の人生を送っている霊があるということです。後者なら、それが分かるのですが、前者、つまり初めて人間として生まれる霊にもそれがあるのかということです。

この辺りはあの世とこの世の仕組みが分からないので、何とも言えませんが、人間は生まれる前に大まかな人生設計図を描いてから生まれると言われています。

私も60を過ぎ、人生の大事な部分を過ぎてきました。日本人の平均寿命からすればあと20年ほどは生きられるのかもしれません。

自分を見失いがちになりますが、今をどう生きるか常に思いながら生きなければと思っています。

人生
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