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神から離れてはいけない

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人間は日々の生活の忙しさから神のことを考えない時があると思います。

ところが、これが人間が一番不安定で不安になる原因だと思うようになりました。

日々の生活が忙しいと、その事に心が振り回されます。

ところが、人間にとって、一番の目的は、神から命をもらい、今なんのために生きているのかという事です。

例えば、私の例でいいます。

組長として、組下の声を組長会に届けようとしましたが、そのことは自治会長の気にそぐわなかったようで、お酒の席でなんでも言っていいもんじゃないとお酒の席に言われました。私としては組下から出た声ですので、組長会で発表したのですが、拒否されました。

もし、私が組下から出た意見をその場に出さなかったら何もなかったこととしてすんでいったでしょう。私自身はその意見に対してあまり関心のあることではなかったのですが、組下のメンバーが何度も言うので組長会で発言したわけです。もし、黙っていれば何事もなくすんでいきました。

組下から出た声は、区民の安全のために言ってくれたことです。それを無視して黙っていてもそれほど変化のないことだったかもしれません。

組下の要望を聞いてきて、書面で出してくれと自治会長から言われれば正直に、聞いた意見をそのまま書面にして出しました。

正直、私も組下から出た意見の中には、自治会長に上げたからと言って、すぐに対処してもらえるとは思えない要望もありました。それでも、自治会長が組からでた要望を書面にして出してほしいと言われればそのまま言われた通り出しました。

自治会長の立場になれば、要望が出されても、なんでも取り組んで解決できるというものではないでしょう。しかし、組下からの要望は書面にて出してくれと言われれば、そのまま書面に出すわけです。

正直、自治会長はすぐに行動に移す人ではありません。私の敷地に倒れてきた自治会長の敷地にある木が倒れてきたときも、1年以上もそのまま放置されています。1年くらい過ぎたときに、片付けると言っていたけど、いつしてくれるのかと言っても、笑って「忘れていた」と返事をするだけです。その後も何もせず、何か月も過ぎています。

はっきり言って、無責任です。しかし、自分に向けられた要望があれば、それは組長判断で却下せよと言う発言です。

この自治会長に何を言っても、ある意味無駄のように思います。

私は組長という立場です。その私に「言ったことは言った通り実行せよ」と、強く言われたことがあるのですが、そういうことを言う自治会長自身が、他人の土地に倒れている自分自身の倒木の処理を1年以上も放置して何もしないのです。他者に厳しく自分に甘いと思えます。他人に迷惑をかけていると、訴えられているのですから、すぐにでも動くべきだとおもうのですが、1年たっても動きません。

人間は自分に厳しく、他人に優しくが人として価値があると思います。

反対に自分に甘く、他人に厳しいというのは人としてどうでしょう。

ある意味、人間界は「自分に甘く、他人に厳しい」というのが一般的かもしれません。

そういう人間界だからこそ、いつまでたっても宇宙で2番目の霊性だと言われるのかもしれません。こういう目で人間界を見ている私自身、そのレベルの人間だということです。

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