神様を思う気持ちから離れると良くない
人間は生きているうちに、日々の忙しさに心を奪われます。
私も同じです。
わたしの心が安定しているのは、神様を心に思っていた期間だと思います。
日々の出来事には、いろいろな現象が起きます。
例えばつぎのようなことです。
・自分の土地が近くに住む人が勝手に宅地をいじって、所有してしまった。(その人の言い分は、私の土地は、がけの近くだったのでくずれてなくなった。しかし、本当は、その人が埋め立てて私の土地を埋め立てくずれてなくなったことにした。)正直、これには納得できない事ですが、そのように言った人はもうあの世に帰りました。登記簿上は私の土地があるはずですが、そこはがけとなってなくなったというのが死んだ人の言い分です。たぶんですが、その人は分かっていて私の土地を埋め立てたのでしょう。私としては、異論を唱えたいところですが、それを言っても何か変わるかというとわかりません。因果応報の法則があります。すべては公平になるように神様が仕組んでいますので、ま、いいかと今はそのままにしています。
・組長という役になり、組下からの声を組長会に届けました。ところが、自治会長は、そういう声は組長レベルで判断して何でも全て出してくるなというような考えです。この自治会長は、組長が意見を言っても、それを組長会からの意見として載せないこともあります。
それを載せると、そういう意見があるのに、どのように対処したかと問われると困るので載せません。そういう自治会長に対して不満を述べる人がいますが、当の自治会長は、自分の立場を優先させます。
こういうことは、自治会員の何人かは分かっているのですが、選挙となるとその自治会長を再選させます。理由は、その人を自治会長にしておけば、自分が選ばれることはないからです。
結局、自分がしんどい思いをしなければ良いという考えが基本です。
昔、田中正造という人がいました。小学校の教科書に出てくる国会議員です。(日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家として有名。衆議院議員選挙に当選6回。)ウィキペディアより
やはり、トップに立つ人は人のために役に立ちたいという意識がないとダメだと思います。
組のそれぞれの意見であってもそれを、「そうかそういう意見もあるのか」と、聞く耳を持てる人こそトップに立てる資格があると思います。何かを言われて、自分の都合が悪いからとそんな意見を組長会に出すなという人が自治会長では良くないと思います。しかし、その自治会長を選ぶ自治会の人は、自分でなければいいという思いでは、結局選ぶのは、自分中心の自治会長ということです。
自治会長が自治会のことを本当に考えられないとしてもそれを選ぶ自治会員も、同様に自分さえよければ良いという基本概念がベースにあるということです。
「地球は、宇宙で2番目のレベルの霊性である」と、シルバーバーチが言っていたと、思いますが、そうかもしれないと思えます。2番目どころか、宇宙で一番低い霊性なのかもしれません。これで2番目というなら、1番目の星に住む住民たちは、どれだけ自己中心的な星に住んでいるのでしょう。
霊性が高いとは、自己中心の発想ではなく、周りの幸せを願える人々の集まりでしょう。
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