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悩みへの対処

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私は定年退職を過ぎている年齢です。

ただ、結婚した年齢が40代で子どもがまだ中学生と高校生という状況です。

私の年齢なら孫がいる人もいるでしょう。ところが、結婚した年齢が遅かったために、子供がまだ中学高校生という状況です。

さて、私は、現在も働いているのですが、私のような年齢になると、今の仕事が結構ハードです。若い人が働く中で同じように仕事を進めるわけです。

文書作成の仕事ではあまり困りませんが、その量が多すぎますのでやや疲れます。おそらくこれを新採用の人たちがやれば、あまりの多さにつぶれてしまうでしょう。

私は、定年退職の年齢を超えて現役で今も頑張っています。ところが、私の家庭環境が現在安定していなくて悩んでいるところです。

①妻との関係。②子どもの生活態度が気になること。③4月からの自分の仕事

①の妻との関係がうまくいっていることは安定した家庭環境を築く上で大事です。ところがいろいろな出来事があって、現在は不調です。

②子どもの生活態度が気になる。ネット依存症になっている子どもたち。どれだけ話しても親としての言葉が入っていきません。好きなゲームや通話にはまっています。

③自分の仕事を今後どうするか。私のような年齢の人は年金に頼ったり、悠々自適の生活を送っている人もいるでしょう。私の場合は、育てなければならない子どももいていろいろ悩むこともあるわけです。

私のような定年を過ぎた人間は、あと何年生きられると考えると平均年齢なら20年程度です。私の父は60歳で亡くなりましたので、もうすでにその年齢を過ぎているわけです。

70歳になるまで元気に働けるならその期間をどうやって生きるかということです。

アップル社を立ち上げたジョブずさん。マイクロソフトを開発した人たち。この人たちが世界のIT産業をけん引していきました。私といえば、世界的影響を及ぼすわけでなく、日々の仕事をこなしてきただけです。

ところが、この年齢になり、何のために生きているのという問いと、向き合うわけです。

神が私をこの世に送ったとき、何を学べと送ったのか。

先祖からゆずりうけた財産や土地にしろ、結局は次へ送っていくものです。

ある意味、自分というのは、地域や世間の呪縛に縛られて生きているのです。

それも、地域や世間に合わせなければいけないという自己観念がそうさせているわけです。

例えば、葬式。最近「家族葬」という葬式の進め方が増えてきています。

私の地域では、これまで、葬式というのは、親戚をはじめ、自分に関わってきた人たちが総出で葬式に参列して行われてきました。ところが最近は家族葬と言って、血縁関係の濃い人だけで行う葬式が多くなってきました。

私を中心に考えて、例えば自分の身内が亡くった場合、おじさんやおばさんと自分の家族だけで葬式を行うという仕方です。

これまでと違い、地域に住む親せき関係のない人は葬式に参列しません。また、地域に住む昔からの親戚の人であっても参列しません。

このような葬式の仕方が今進んでいます。これは時代の流れです。昔、地域でコメ作りをしたいた時代は血縁関係を重視し、同じ地域に住むならずっと何代に渡っても親戚関係として結婚式や葬式づきあいをしていたわけです。ところが、今の時代仕事は狭い地域だけにとどまらず、遠い所にも勤めているという場合も多いです。地域に残っているのは年老いた老人だけです。そうなると、葬式といえども、簡単に出席することができなくなってきています。地元に住んでいる場合は対応できても、仕事関係で出席できない人も増えています。

義理ということで出席するとなると、会社をたびたび休まなけれなならないということもあります。そのような時代になり、「家族葬」のように本当に濃い親戚だけで葬式をあげるという仕方が進んでいるのは時代としての流れかと思いまます。

私も、母からは「家族葬」でいいよと言われています。

そういうことは「せちがらい」という人もいるでしょう。しかし、これも時代の流れで仕事を簡単に休めない時代の流れと言えましょう。

話が当初の話題とそれました。

テーマは「悩みへの対処」でした。

悩んでいるときには、一つ一つこのことについてはこうやって考えようというように、一つ一つ対策を考えて、総合的に判断するのがよいと思います。

そして、どうせこの世において儲けたお金は一円もあの世に持ちかえれないとわりきりましょう。

億万長者といえども、死ねばそのお金はあの世にもっていけないのです。

 

人生
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