誰かが7月5日について夢なりで見たことを今話題となっています。そういう話があると、多くの人はそれを恐れ、もしかすると本当に起きるかもしれないと思ってしまいます。さらには、いろいろな人が同じようなことを言い出すと、これは本当にそうなるかもと思います。こんな思いをもつことは実は、私自身も、洗脳されて自分自身で考えることができない状態になっていると、思えてきました。
ある人が、7月5日に起きる出来事について予言したとしたら、その出所はどこか。低次元から見せられた内容かどうか。
その出どことなっている発信者は誰にどのような目的で見せたのか。(反対に言えば、見させられたのか)そして、なぜ、その人は世間に言うようになったのか。自分の意思で言っているのか言わされているのか。何者かがその人に憑依して勝手に言わされていないか。
世間に発信した人に悪意がないとしてもあの世の霊に操られている場合もある。霊媒体質の人は、瞬間その人の体を乗っ取って言わされることがある。たとえ、その人が普段とてもいいひとで嘘を言うような人でなかったとしても、そういうことがある。
ネットでいろいろ見ていると、この人は本物だと、私自身が思うことがありますが、しかし、それは「危うい」ことです。
その人を信じてしまって、もしその人があの世に操られていたらどうなるか。高次元からのメッセージだと言っていても、もしかして低次元だったとしたらどうか。
これは、霊媒体質者だった人が、過去の失敗を反省しながら語られた言葉です。霊媒体質者だったら、瞬時に思考をのっとられ操られることがあることは、「あるある」だというのです。
この人は本物だという先入観から、その人が言うことは全て正しいのだという思い込みをします。
最近、7月5日についていろいろな人が言っていますが、それを信じ込むことは集団意識として自分自身がその実現に加担することになるかもしれません。現象界は人々の想念が具現化したものだとすると、地球上の多くの人がそれを思うことで具象化することになるかもしれません。確かに、万が一南海トラフのような出来事が起きるかもしれないということで、事前に食料や水、燃料などについて準備しておくことはそれは良いでしょう。支援物資がすぐに来なくても、あらかじめ何も起きていないときに、準備しておけば争って物資を求めることもありません。そういう意味では災害に備えることは良いと思われます。
あの世の霊と交流できる霊媒体質の人が言いました。
夢を信じちゃだめ。と。この方も20年以上前にこれで大失敗したことがあると語られていました。つまり、あの世の霊によって見せられたことを公言してそれが当たらなかったのでしょう。彼は、あの頃で良かったと話されています。今だと、ネットがいきわたり、多くの人に迷惑をかけただろうと振り替えられるのです。
夢というのは簡単に信じちゃだめだと。夢は、「フェイク動画」だと思えば良いそうです。簡単に作って見せることができる。夢=フェイク動画だということです。2回、3回と同じ夢を見てもそれを予知夢だと思い込んではダメだと。そう思ったら簡単にその人は操られる。
霊媒体質の方で上記のように話される人が言うには、上のような人をたくさん見てきているそうです。
彼自身、20数年前に結構操られたと話されていました。その理由は仕組みを知らなかったからだそうです。
何回も同じ夢を見る。これはお告げだ。みんなに知らさなければと勝手に思い込んだそうです。それで、会う人会う人にその夢のことを言っていた。結果信用を失ったそうです。彼が言うには、どれだけリアルな映像で見せられても、それは妄想だと言い切ります。現実に起きなければそれを妄想という。
ノストラダムスの大予言というのがあった。結局何も起きなかったが、それで大儲けができた人がいた。加担した人がいた。その後、どうやって言い逃れをしたいったか。2012年マヤ歴世界の終焉。これも同様です。
世間を騒がせ、多くの人を不安に陥れた人はどうやって言い逃れをしたのか。
地震はそこに住む人の財産、不動産を持つ人はどうしたらいいか。どうしようもできない。どんな予言だとしても、人の気力を奪うような発言というのは控えた方がいいと。
希望のある未来を考えた方がいい。希望を語った方がいい。そういうイメージをもって作り出していく方が肯定的な社会ができる。
以上のようなことを霊と交流できる方が言われていました。
結局は日本人の意識を浄化し、良い未来を描くことが重要だということです。
浄化という点についてはどうしたら良いか。思い方や行動を正していくことでしょう。
人への恨み、嫉妬、怒りなどの思いを振り返り、他者への感謝と祈りで思いを変えていくことでしょう。
「あんなやついなくなればいい」と、思うなら、その人のために「その人の天命が全うされますように」と、祈ることでしょう。
この世に誰だって、魂の修行にやってきているのですから、その人が幸せになりますようにと祈ることはその人にとっても自分にとっても良いことでしょう。

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