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神の摂理

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永遠の霊的進化の法則

人間がこの世に生み出された瞬間から、人間の一人一人は個的存在として、霊的に永遠に進化の道を歩み始めます

つまり、人間として生まれた第一の法則は、人間は霊的に永遠に進化していくということです。

人間は、霊としては不完全です。自分中心にできています。他者より、自分の都合を優先させたい心があります。

肉体をもっている私たちは、自分が「霊的に成長しているかどうか」については鈍感になっているように思います。それよりも、おなかがすいたから何かを食べたい、喉が渇いたから飲み物が欲しいという欲求の方が実感できます。

私たちは肉体と霊でできていますので、この肉体に入っているときには、肉の欲求の方ばかり感じていますが、霊的意識の高い人はそうではないかもしれません。

人間は神によって、「永遠の魂の成長のため」に地球上に誕生させられたのであれば、この「霊的な成長をしているかどうか」ということは大変重要な意味をもちます。

では、「霊的に成長しているかどうか」ということは何を基準に見ればよいのでしょう。その基準と照らし合わすことで自分が霊的に成長しているかどうかが判断できます。そこで神の摂理を知る必要が出てきます。

地球人の多くは、霊的存在の最低ラインにも至っていない?

シルバーバーチによる厳しい指摘です。肉の欲求が霊の欲求に負けているという指摘です。

心の中が霊的意識ではなく、肉的意識(自己中心的意識)に支配されている状態が多くなると、「肉主霊従」と言われます。一方、反対に、霊の意識が肉の意識に勝つと「霊主肉従」と言われます。

霊主肉従・・・本能的欲望に流されない。霊的視野の発想。

肉主霊従・・・本能的欲望に流された状態。自己中心的発想。

そこで、人間に求められるのが、「霊優位(霊主肉従)の法則」です。

現代人にとって、このことは大変難しい状況になってきていると思います。

 

利他性(利他愛)の法則

「利他愛」の反対は「自己愛」でしょうか。利他愛とは、自分のために何も求めず、何も要求せず、ただ相手のために施す心ということです。これも、現代人にとって、難しいですね。自分より相手を優先させる心、簡単ではないですね。昔、偉人が「自分を愛するように、他者を愛しなさい」ということを言われました。「自分のために」という心を超えているのです。

自由意思の法則

このことは、あえて自由意思の法則と言わずとも、自分で自由に考える自由は誰にでもあると思っています。なんでも思えるということは、善ばかりでなく、悪も思えます。しかし、その思ったことに対する摂理違反は、苦しみや病気の結果となって現れます。ところが、人間以外の動物に人間のように自由に考えることはできないのです。チンパンジー、いるか、犬など自分で考えて行動する部分がありますが、人間とは比べようがありません。自由意思とは、車のハンドルのようなものです。車に乗る私たちは、そのハンドルをどちらの方向に回すかによってたどり着く場所がことなります。運転手の私たちは、自分でどの方向にかじをきるか任されています。

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