取り越し苦労は大敵
シルバーバーチの霊訓1-73に「取り越し苦労は大敵です」という言葉があります。また、「生命力を枯渇させ、霊性の発現を妨げます。不安の念を追い払いなさい」とも、シルバーチは言います。
じつは、私は、心配症なところがあります。いらぬ心配をしてしまうのです。これは、悪い習慣です。
取り越し苦労とはどういうことでしょうか。
これから先、どうなるのかわからない将来のことをあれこれと無駄な心配をすることを「取り越し苦労」と言います。
霊性の発現を妨げる
それでは、なぜ、「取り越し苦労」をすると、「霊性の発現を妨げる」のでしょう。また、「生命力を枯渇させる」のでしょう。
それは、こういうことです。
人間は、思うことによって自分自身を作っています。人間の本体は、霊ですが、霊とは知的な想念体です。人間は思うことによって、物を形作ったり引き寄せたりします。あの世においては、想念がすぐに形となって現れます。この世においては、人間が念じたことが形となって現れるには時間がかかりますが、その思う事が形を作りだすとなれば、取り越し苦労によって悪い状況を思い描くことになります。常に人間の思念はものを生み出しているということになります。
確かに、地震対策などでは、万が一を想定して、何メートル以上の波に耐えられるような堤防を築くということがあると思います。これらにおける想定というものは取り越し苦労というよりは、計算や地殻などの研究から割り出される数値です。ただたんに地震がきたらどうしようという思いではありません。地震がきたら、このように逃げるとか、地震に備えた準備をしておくとかいうのは大事なことです。こういうことのためにあれやこれや考えることは取り越し苦労とは思いません。
しかし、日常生活において、考えても仕方ないことで、あれやこれや悩むことは取り越し苦労と言えるでしょう。例えば、「ある国がミサイルを撃ってくるかもしれないから、子どもの学校を休ませる」というのは、よほど撃ってくるという確率がなければ、それは思いすぎでしょうとなります。「飛行機が落ちるかもしれないから乗らない」というのは、もちろん乗らなければ100%安全ですが、そうなると、海外旅行に行くことはできなくなります。
「来年高校受験に失敗したらどうしよう」と、考えるよりは、高校に受かったあとの楽しい生活を思いうかべる方が建設的です。受かった後の自分の姿を思い浮かべながら、今を頑張ることが大事です。
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