アラン・カルディックについて
フランスの教育学者で哲学者でもあった、アラン・カルディック(1804年~1869年)は、スピリティズムの創始者とも言われています。
この人が書いた「霊の書」は1857年に書かれています。霊媒を介して行う交霊会において、カルディックが質問をしてまとめた本が「霊の書」というわけです。
みなさんは。神とはどのような存在か知りたくはありませんか。また、霊や宇宙、生命の誕生がどのようになされたか知りたくありませんか。
この「霊の書」では、そのあたりの内容について触れているので、ぜひ読んでいただきたいと思います。もともとの文は、詳しくてやや理解しにくいところがあったので、大事な部分を私の理解できる範囲でまとめています。
神とは
カルディックの質問に答えた霊は、神について次のように答えています。
「神とは至高の知性。全存在の第一原理です。」
全存在とは、霊界及び物質界の宇宙に存在する物の第一原理ということです。霊界と物質界以外の世界があるのならば、それをも含めての全存在ということでしょう。第一原理とは、どういうことでしょう。存在を存在たらしめた大元ということでしょう。
神が存在することの証拠は何かに対して、「原因のない結果は存在しない」というように答えていますが、この答えでは証拠として納得するのは難しいと思います。結果があることは神が存在するからと言えるのでしょうか。
「神とは至高の知性」とする根拠については、「職人の腕はその業を見ればわかるように、その業から至高の知性を推察すること」だと答えています。
これについては、人間の体の仕組みや遺伝子の仕組みなどを考えれば、至高の知性だと推察することができます。もちろん、人間の体や遺伝子の仕組みを神が計画して創られたとすればの話です。
被造物としての人間の体を誰が作ったのかと問うときに、それを目には見えない神が作ったと言っても、人間は形あるものしか信じないので無理があります。目には見えなくとも、それを信じられる人は幸せかもしれません。
霊と物質について
物質とは何かについては、「物質とは霊をつなぎとめるもので、霊に仕える道具であり、霊の働きかけによって活動するものである」と霊が答えています。
この意味は、物質は霊の働きかけがなければ活動しないということになります。動物の活動は、すべて霊の働きかけがあるということになります。
地球という天体も活動していると言えるのではないでしょうか。地震はあるし、回転しているし、大陸の移動もあります。火山が活動することもあります。そうなると、この地球が活動しているというのであれば、霊の働きかけがあるということになります。
霊とは何かについて、「宇宙の知的根元素」と答えています。
「知的根元素」ってどういう意味でしょう。わけのわからない説明です。
霊=元素(しかも知的な部分をもつ)ということですか。つまり、霊とは物の元になる部分で知的な成分をもつということでしょうか。
そこで、元素とは何かと調べると、「万物の根源をなす不可欠な究極的要素」であると定義されています。
霊と物質をつなぐものの存在
霊と物質以外に第3のものの存在があると説明しています。
霊と物質は異質なもので次元の違うものです。そのため、この両者をつなぐものがあり、それを「普遍的流動体」とか、「中間的媒介物」とか言っています。電流や磁気は、この流動体の変化したものとしています。人間では、人間の肉体と霊がありますが、それを繋ぐものが存在するということになります。
宇宙空間が無限であること
宇宙空間は、無限だと霊は答えています。無限ということがどこまでいっても限りがないということです。私の理解の及ばない世界です。ビッグバンという考えがあります。最初138億年前に1点が爆発してどんどん広がっていったとする考えです。その考えでは、宇宙の端があるようにも思えますが、しかし、その考えとて、その端の向こうに何があるのかと考えるとわけがわからなくなってしまいます。結局「無限」ということがどういう状態なのか理解できない私には、どう説明されても分かりそうもありません。
物的宇宙が先が神が先かという問題
宇宙は、神の意志によって創造されたと霊は答えています。
もともと神がいて、宇宙をつくったということです。それでは、その神はどうやって生まれたということを思うかもしれませんが、神以前はどれだけ遡っても、考えようがありません。
「無」という世界があって、そこにあるとき、突然神が現れた。としても、無という世界は誰がつくったのかという疑問。そもそも無ならば何もないので、何もないという空間なりが想像できません。宇宙空間には空気がありませんが、しかし、その空間が存在しているわけです。とにかく、われわれは今現在、物質という「有」の世界に存在しています。
地球上の生命体はどこから来たか
これに対しては、「地球そのものに胚の状態で含まれていた」としています。最初から胚の状態で存在していたということです。人類も最初は、胚として発生し、最初から有していた生殖活動で繁殖するための要素を内にもっていたといわれます。鶏が先か卵が先かでなく、胚として生まれたということになります。
ただ私の理解が及ばないのは、人間は、赤ちゃんで生まれて自分で生活できるようになるためには、何年も必要です。その人間が自分だけで生活できるようになるまでには、時間が必要です。どうやって、自分で生きていけるようになるまで成長したのでしょう。赤ちゃんを世話する人がいるわけですが、それなしで成長できるとは思えません。「胚」から出発したという説明だけで納得できないのです。
もう一つの疑問は、どのようにして言葉を獲得したかということです。
私たちは、親がいて、周囲の人がいるおかげで言葉を獲得してきました。昔、オオカミに育てられた少年がいて、その子どもは人間の言葉を話せなかったという話を聞いたことがあります。
自分に言葉を教えてくれる人がいなければ、人間は言葉を話せないと思うのです。しかし、今の地球上では、たくさんの国があり、それぞれの国の人は、それぞれの国の言葉を話しています。どうやって言葉を獲得したのか不思議です。
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