この世の人生は全て公平の原則において働く
今回、「公平」という観点で神の摂理について考えてみたいと思います。
「神は、物質界と霊界を支配するための摂理を創られました。その摂理に不完全なものはなく、機械的な正確さをもって機能しているのです。」(シルバーバーチの言葉より)
(摂理とは、自然界を支配している法則です。神は宇宙と歴史に対する永遠の計画と配慮を行い、被造物をそれぞれの目標に導くのです)
人生において、人間が不公平に思えることも、実は長い期間で見れば、公平になるよう計画されているのです。
障がいをもつ人の場合はどうみる
シルバーバーチは、障がいのある人を例にして次のような内容のことを述べています。
「障がいのある体をもって人生を生き抜くことによって魂の成長を行っている場合がある」ということです。「自分の魂の成長のために、あの世にいたときに、この世に出れば障がいのある体になることを理解した上でこの世に再生する場合がある」ということです。
例えば「ヘレン・ケラー」のことは多くの人が知っていると思います。(若い人で知らない人がいるかもしれませんが)ヘレンは、視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障がい者の教育・福祉の発展に尽くしました。
日本では、「中村久子」という人がいます。実は、ヘレン・ケラーが訪日したとき、この「中村久子」さんのことを、ケラーは、「私より不幸な人、私より偉大な人」と賞賛したのです。この中村久子さんは、病気のために、手足を切断するという人生を送られた人です。この方は、「自分の体について恨む言葉も無く、むしろ障害のおかげで強く生きられる機会を貰ったとして「『無手無足』は仏より賜った身体、生かされている喜びと尊さ(を感じる)」と感謝の言葉を述べ、「人間は肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と語っているのです。(ウィキペディアより引用)
霊としてみると、この世、あの世、来世、さらにそれ以降の時間も考えての公平
人生の尺度をこの世だけの時間で見ると、不公平という思いになるかもしれません。しかし、真実は死後の世界、さらには来世(あの世に戻ってからまたこの世に来る)という長い時間で見れば、やはり公平に神の摂理が作用するようになっているというわけです。
この世において起きるあらゆる出来事が、「原因結果の法則」、「償いの法則」、「公平の法則」などいろいろな法則のもと、生じてくるというわけです。
自分にとって、望ましくない結果が今生じているかもしれませんが、それらも「神の摂理」によって生じているというわけです。
あのとき、あの瞬間にそこにいなければということがあるかもしれませんが、そこにあなたがいたのは、「偶然」ではなく「必然」だったかもしれません。あのことがなければ、そこへは行かなかったという場合があるかもしれませんが、その瞬間、その場所にあなたが行ってしまったことが「必然」だったということでしょう。
この世に起きる事は全て自分が成長するためにある
神は「全知全能の存在」です。
この世で起きる出来事には、自分個人にとっては嫌な事、逃げたい事、つらい事、うれしい事、楽しいこと、幸せな事いろいろあります。それら全てが実は、自分に用意された「人生の脚本」なのです。
「あー、なんで私はこんなに不幸なんだ。」「あー、どうして我が子は私の忠告を無視するのだ。」と、思う事があるかもしれませんが、これらも、実は自分のために用意されたものなのです。
どれだけ注意しても聞かない子どもの姿は、実は、どれだけあの世から守護霊が心配して私に声をかけても聞けない自分かもしれません。
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