自分勝手な人の霊格
「利他愛」の実践と「霊主肉従」や「自己犠牲」を霊性を高めるための要素とするなら、「自分勝手な人」や「自己中心的な人」は霊性が高いとは言えません。あなたの周りにはそういう人はいないでしょうか。
もし、夫婦の関係で、配偶者が「自己中心的な人」だったらどうでしょう。毎日顔を合わせ、自分の都合で相手にいろいろ口をはさんでくることになります。自分中心の論理を言われ、それに異論を唱えれば、口答えすると怒り出すかもしれません。
自分中心の人によって、自分の魂が鍛えられる面もある
もしも、相手が霊性の高い人で相手の都合も考える人だったら、どれだけ楽な事でしょう。そういう関係なら苦労も少ないでしょう。
ところが、配偶者が、自分の言うことだけが正しく、相手の言い分を聞かないとしたらどうでしょう。やることひとつひとつにケチを付けられることも起こります。
例えば、朝起きたら、草をとるか、掃除をしなさい。(自分が寝ていたとしても)洗濯物をきちんと網に入れて、回せるようにしなさい。洗濯物を寄せたら、きちんとたたんでケースに片付けなさい。パソコンばかり触っているのが気に入らないからとワイファイの線を隠す。食器の洗い方が悪い、もっときれいに洗いなさい。炊飯の水の量が多すぎるからごはんが柔らかすぎ。何度失敗したらわかるの。
夫婦の間でもこういう事が起きるかもしれません。
昔の日本なら女性が家事を中心にしている時代がありましたが、今の時代は、男女逆転している場合もあるでしょう。
一旦結婚したら、そういう関係になっていたとしても、簡単に離婚するわけにはいきません。子どもがいればなおさらです。ただ、最近は、配偶者に我慢ならなければ、さっさと離婚する人も多くなっています。
そういう夫婦関係ならさっさと別れた方が互いに傷つけあわないから良いという選択もあります。
もう一つの選択支として、その配偶者とずっと離婚しないで結婚状態を続けるという方法があります。そういう相手を選んだのは、自分自身の魂を成長させるためにそのような出会いがあったと考えるわけです。一緒にいれば、毎日相手からの要求がとんできます。夫婦は平等なんだからお互いが助け合い理解しあって暮らすのが理想です。しかし、既にそういう状況にない夫婦において、相手の理解がなければ、自分を鍛えるためにやってきたと割り切って耐え、魂を磨くと考えるのです。
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