人のために生きると幸せになるか?
人のために生きることに、何の疑問も持たず、それが喜びとなれば、その生き方は自分を幸せにするでしょう。
しかし、人のために生きることが義務感から出たもので「いやいや人のためになることをする」というのであれば、それは、ストレスを感じるものとなり幸せになるとは言えないでしょう。
「人のために生きることは良いことだ」と、知識としては理解している人は多いでしょう。しかし、現実生活となれば、自分の都合を最優先したいと思う人は多いでしょう。
世の中には、災害があれば、自分の生活をさておいて、ボランティア活動をするために現地に赴き、人のために一生懸命働く人がいます。そのような活動に家族の理解があれば、ボランティア活動することで被災されて困っている人には大変感謝されると思います。
実際に、2018年9月6日に北海道で大地震がありました。山口幸雄さんという72歳の男性は、昭和53年から40年以上に渡って被災地に向かい炊き出しなどのボランティア活動をされているようです。山口さんのワゴン車には、炊き出しに使う調理器具、机やいす、折り畳み式の簡易ベッドを積み込み活動をされているようです。
このような人は、ボランティアをすることがこの人の生きがいになっているのかもしれません。
しかし、このようにボランティアとして被災地まで出向けない人もいるでしょう。毎日の生活の中で人の役に立つことを目指して生きている人もいるでしょう。目に見える形でなくても、密かに人のために役立つことをしている人もいます。
たまに、車で道路を走っていると、歩道の草を取っている年配の人を見かけることがあります。たぶん、あの人は、誰に頼まれるでもなく、歩道の草を取っているのではと思います。
さて、本題の「人のために生きると幸せになるか」についてです。
私は、摂理という点から考えれば「人のために生きる」ことが利他愛の実践ならばそれはその人の徳となり、因果律の法則からその人にとって良いと考えます。但し、それが自己満足ということであれば、必ずしもプラスとはならないかもしれません。
もし、家族があり、家族の生活があるとすれば、配偶者の理解も必要です。配偶者が、家庭のこともしてほしいと願っているのに、そちらの責任を果たさなかったら家族関係は崩れてしまうかもしれません。
大切な事は、まずは、身の回りを整え、さらには外に向かって人のために生きることが大事だと思います。
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