息子からは、あの世の世界については理解されていません。
確かに、目に見えない世界を信じるということは、確かに、その人の思い込みのような部分があります。
なのに、私はどうしてあの世の存在や神様の存在を信じているのでしょう。
無と有ということの意味について考えてみましょう。
今、目の前に何か物体があるとすると、その物体の存在を有らしめている力があるということです。
無から急に何か物体が生じるということは普通考えられません。何もないところに何か物体が急に表れるとしたら、そこにエネルギーがあって、その物体を存在させるための原因がなければならないはずです。その原因となるものは何か。すなわちエネルギーです。そのエネルギーがなければ、物体は発生しません。ところが、そのエネルギーの原初はどうか。エネルギーの大元になる、エネルギーを生み出すものがなければエネルギーは発生しません。ところがエネルギーを生み出すものがあったとしましょう。そのエネルギーを生み出すものはどのように生じてきたのか。一度無から有の世界に何かが存在してしまえば、その有の力によって、別の物を生み出す力が存在することは理解できます。ところが、無から有がどのように発生したのかはどうやって考えても理解できません。神という存在が本当に存在したとするなら、その神はどのようにして発生?生まれたのかは分かりません。
今、私たちが受けいれることができるのは、とにかく、自分は生きているということです。
最近のニュースでは、人生をはかなんで、自殺する人もいます。他者には理解できない苦しさがあるのでしょう。しかし、私たちは一度生まれたからには、少々のことで死んではいけません。
生まれたからには、何か意味があるはずです。
今の人生が苦しいとしても、その苦しむことに意味があるはずです。
私は、苦しみは決して悪いことだとは思っていません。苦しみは償いをしているという側面を信じているからです。悟りというのは、苦しみを味わったその後にあるものかもしれません。
楽しく楽な人生を過ごせればそれでいいと考える人もいるでしょう。しかし、楽で楽しいだけの人生を歩んでいる人がこの世にどれだけいるのでしょう。
おそらく、どんな人でも、いろいろな苦しみを背負いながら頑張っていると思います。
人が羨むような境遇に生まれたとしても、それはそれで、いろいろな悩みや苦しみと向き合っていると思います。
人生とは、どんな苦しみがあっても生き抜く事に意味がある。
神様がどうやって発生したかは分からいけれども、私たちは、神様の存在を信じるからこそ、生きていく勇気がわく。
大金持ちの人も、結局死ぬときに思うのは、神様なのです。何億というお金を持っていても、それはこの世だけのものです。死んだときに本当に大切なものはお金ではありません。
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