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日本地図を伊能忠敬より先に製作した長久保赤水

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長久保赤水(1717~1801)という地理学者は伊能忠敬(1745~1818)より42年も早く精密な日本地図を製作していました。

小学校や中学校で習ったのは、伊能忠敬が江戸時代に正確な日本地図を作ったということでした。

しかし、それより42年も前に日本地図が作製されていたとは知りませんでした。

この情報はネットを見ていたら紹介されていたので、ちょっと調べてみました。

まず、長久保赤水という人はどんな人か簡単に紹介。

出身地 茨城県高萩市

地図名 「改正日本輿地路程全図」(通称・赤水図)1779年

伊能忠敬と弟子による「大日本沿海輿地全図」(通称・伊能図)は1821年完成

生い立ち 農家生まれ。14歳の頃から医師で漢学者の鈴木玄淳の塾に通う。17歳で江戸に遊学。

25歳水戸藩の儒学者名越南渓に学ぶ。天文学は、水戸藩の小池友賢に学ぶ。

1768年「改製日本分里図」完成

1775年「新刻日本輿地路程全図」完成

1779年『改正日本輿地路程全図』(通称「赤水図」)が完成、大坂で出版

それ以前に約90年流布していた石川流宣の日本図「流宣図」と入れ替わる。

 

長久保赤水は、江戸時代中期の地図考証家・森幸安によって描かれた『日本分野図』を参考に、原図となる「改製日本分里図」を作り、安永8年(1779年)に「改正日本輿地路程全図」の初版を完成したそうです。

伊能忠敬の地図は、江戸幕府によって公開されていなかったので、赤水の地図が明治初期まで一般に使用されました。ドイツやイギリス、ロシアなどでもこの地図が知られていました。

韓国と領有権が問題となっている竹島は当時は「松島」として記されているとのことです。

 

赤水が参考にした森幸安によって描かれた『日本分野図』

江戸時代には、すごい人がいるのですね。

この森幸安さんは京都生まれ。12歳から16歳にかけて医師大森仙安・柳安父子の元で勉学したそうです。叔父が営む香具屋(こうぐや)を継いだ後、30歳で隠居。

伊能忠敬は実測に基づいて地図を作成したのに対して、上の森幸安の地図はいろいろ調べたものを元に作ったようです。

長久保赤水の地図を見ると、四国、九州など海を渡っての位置関係など正しく、衛星もない時代によく、ここまでできたものだと感心させられます。

 

 

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