これまでのニュースで私が思うのは、ウクライナに一方的にロシアが戦争をしかけたと感じることです。
ロシアという国というより、プーチン大統領の思いによって戦争が進められているようです。
ウクライナに派遣された兵士たちは、20前後の若い兵士だそうです。この人たちは、上からの命令で動いているのですが、そのトップがプーチン大統領というわけです。
ロシアの兵士たちも、ウクライナの何の罪もない人民に向けてロケットを打ち込むことに対する罪の意識を感じないはずはありません。命令に従わなければ、処分されるのでしょう。
ロシア内で戦争反対のデモをする人は捕まえられていると報道されています。
プーチンは核爆弾の使用にまで言及しているようですが、ここまでくるとプーチンのしていることは、第二次世界大戦時のヒトラーを思い出させます。
戦争をすることを命令するトップというのは、人ひとりの命の重さについては考えないようです。もし、自分の子どもが殺されるかもしれないとなれば人の命を考えるかもしれませんが、政治の世界においてトップにいて誰も何も言えない支配関係においては、したの者は何も言えないのでしょう。
こういう状態は、人類の歴史において何度もありました。
上司の命令に従わないと、自分の命さえも補償されないのかもしれません。
日本の場合でしたたら、命までは取られないかもしれませんが、職を失うこともあるのでしょう。
ロシアにおいては、命令に従わなければ自分の地位はなく、命さえ奪われることもあるのではないかと思います。ロシアがウクライナを攻撃したために、民間人や子どもの命までも奪われているのです。
戦争というのは人と人の殺し合いになります。殺人です。それを将棋の駒のように実行する歩兵は、これからの人生の長い20才前後の青年なのです。
それを命令するのが長く生きてきた老人なのです。
日本の歴史においても平安から鎌倉、室町、安土桃山、江戸、という時代の変わり目において当時の武将が戦争をおこし、人が人を殺すという歴史がありました。
この21世紀においてさえ、自国の領土と他国の領土において、政治のトップにある人は、戦争という手段を選ぶのでしょうか。ロシア(プーチン)はNATOという組織を恐れたのかもしれません。少なくとも一般人は兵隊を動かす力はありません。それを行使できるのは、政治のトップにある大統領です。選挙で選ばれた大統領が選択したものが戦争です。
北朝鮮のトップはミサイルの発射実験はしますが、まだ日本に直接ミサイルは打ち込んでいません。北朝鮮のトップは自国の防衛の行動はしていますが、まだ日本に直接ミサイルを撃ち込んでいません。日本から自国を守るためにその戦力を誇示しているのでしょう。
日本は、第二次世界大戦で敗戦を迎え戦争はしないことを誓いました。
ウクライナはもともと核保有国で軍事力の強い国でした。ところが他国との安全保障の約束を信じて軍事力を縮小した結果ロシアに攻められました。
こういう姿を見ると、日本も今のままで良いのかという議論は、より活発になります。軍事力が弱い国は、他国に侵略される場合があることをウクライナとロシアの関係においてまざまざと見せつけられました。
日本は憲法において他国に対して人権を守ってくれるという信頼を置きながら国造りを進めてきました。ところが、すべての外国は日本と同じ価値観ではないのです。
もしチャンスがあれば、日本の領土をうばうかもしれない国もあるということです。問題は、領土を奪うときには戦争という手段をとるということです。戦争が起きれば人の命が奪われます。
トップの命令によって戦争に駆り出された兵士は若くして命を落とします。
人類は、未だに戦争から抜け出せない状況にあることをプーチンが示してくれました。プーチンの言い分では西側諸国が約束を守らなかったという言い分があるのでしょう。
いずれにせよ、自国民の生命と安全を守るには自国による防衛力しかないということでしょう。
被爆国としての日本は核を持たない方針ですが、アメリカの核を背景として他国から攻められれないようにしています。結局は核に頼っている状況です。
もし、アメリカの協力がなければ日本だけで日本の国民の命と平和を守れるかということです。
ウクライナの大統領や重要閣僚の命を狙うために傭兵が雇われているというニュースまであります。日本で言えば、総理大臣以下の閣僚の命まで狙われるということです。ウクライナの大統領や狙われている人の命が守られるよう神様に祈ります。
21世紀というこの時代において戦争なんて考えたくもありませんが、日本には手が出せないと外国に思えるだけの国防は必要ですね。

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