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全ての出来事が自分の体験のためにあるという考え方が自分を良くする

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自分に起きる出来事で、マイナスな出来事だと思うことがあると思います。

例えば、昨日車がパンクしました。私は、この車をいつもお世話になっている自動車屋さんに持って行って修理してもらいました。原因は画鋲のようなものを踏んづけたことです。

パンクしたことはアンラッキーですが、その事実に気づけたことはラッキーです。

一昨日(おとつい、おととい)妻がめまいや吐き気がして、私に電話をかけてきました。それは妻にとって良いことではありません。しかし、妻が私を頼り、私に電話することは私との関係を良くする出来事でした。

私は、2月10日に、脚立から落ちて後頭部を強打して出血して救急車で運ばれました。

その後、手術して治療しましたが、頭がふらつくという症状が最近まで続いていました。1か月過ぎてもたんこぶがまだ残っていました。1か月してまだ時々頭がくらくらすることが起きていたので、頭のCTを撮ってもらいました。異常なしということでした。薬を出してもらいその後、頭がくらくらすることがなくなりました。

この経験によって、私は、とゆから雨だれがあっても、雨だれがする中でとゆを直そうとすることの危険性を知ることができました。

昨日、家の鍵がこわれ家の中に入れないため、ネットで調べた業者に電話して直してもらいました。ネットの表記はそれほど高額ではありませんんでした。高くても2万円くらいで終わるだろうと思っていましたが、実際にかかった費用は7万7千円でした。この出費は私にはショッキングな金額でした。台所の鍵も動かなくなっており、これも修理しました。1万円でした。

この業者に修理する前にもう少し安くならないのかと言いましたが、決められた金額なのでと言いました。その会社のやり方なんでしょう。ネットでは安い金額が書いてありましたが、「〇〇円~」という表示で、実際には、万単位の金額を請求するというやり方なのでしょう。作業時間は1時間と少しでした。

家の鍵をかけるということは、用心のためするのは当然かもしれませんが、こういうこともあるのだと体験できました。経済的には、手痛い感覚ですが、このことで良いきっかけを生み出すものになると考えることにしました。

今起きた現象出来事は+でもマイナスでもない。それをどのように受け止めるかということです。私は意識としての存在です。自分にとって必要な体験をさせてもらったと感謝することにしました。

昨年11月26日に93歳の母が脳梗塞になり救急車で運んでもらい、手術しました。気づくのが早かったので、半身不随になることはありませんでした。しかし、退院後、それまで自力で歩けていた母は、だんだん悪くなり今では、車いす生活です。トイレの介助が必要となりました。

周りから見れば、たぶん大変だと感じると思います。訪問入浴、デイサービス、訪問診療、訪問介護を受けるようになりました。

それでも、今のところ食事は自分だけでできます。大変と言えば大変ですが、こういう体験をさせてもらえるととらえこれにもありがたいことだと感謝しています。

自分の周りに起きる出来事をどのように受け止めるか。

私は、早期退職をしています。早期退職をしてから、収入がなくなりました。1年後には、再度働き始めました。しかし、その時には、収入は退職する前の半分になっていました。早期退職したことによる経済的損失は、何千万円になるでしょう。早期退職という決断をしたことが良かったことなのか、悪かったことなのかは分かりません。その時には、そういう精神状況になり、辞めました。

今は、それで良かったと考えます。全ての出来事は、自分にとって必要な出来事だから生じると思うことにしました。

一昨年、妻が交通事故で人身事故を起こしました。その時の事故については既に解決しています。対向車の車が譲ってくれたので右折したら、その横から自転車が前進してきて接触したのでした。

人間生きていれば、何らかのトラブルには出会うものです。

地震や津波などどうしようもない出来事に出会った人もいます。東北大地震、能登半島地震。そこで被災された方はどれだけ不自由をされていることでしょう。命を亡くされた人もいます。

そんな状況に遭われた方にも救いはあるはずです。人間は魂の存在だからです。

 

 

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