今回が初めて人間として生まれた人
人間として生まれてくるのに、今回が初めてという人と再生の人生を送っている人がいます。
「今回が初めての人」というのは、再生の人生はなく、この世に生まれてくるのが初めてという人です。この世に生まれる前は、大霊の中にいて、個別の自分を自覚することのない状態でした。そのような霊が初めて人間として生まれ、自分という自己を自覚します。
私は、この世に生まれる以前は0(何もない無)ということではないと考えています。個別の意識がある存在ではなく、大霊の意識に溶け込んでいる状況だと考えています。例えて言えば、海を考えてみてください。海全体が神の意識だとします。その海からコップ一杯分の海水をすくいます。それが新しく誕生した個別の霊だと考えます。私たちは、無から生じたのではなく、神(大海)からすくい出された一杯のコップの水のような存在です。だから、もともとの素材は、神の意識ですから神の持っていた意識とは別物ではないということです。魂の根っこの部分は神と同質のものがあるということです。しかし、肉体を持つ人間として生まれると、その肉体に霊が宿るので、どうしても自分中心の意識となってしまうのです。肉としての欲求(本能)に自分が従ってしまうのです。おなかがすけば何か食べたいという欲求がわきます。欲求は自己保存というメカニズムの中では必要なことですが、欲求のまま生きるとどうなるか。
肉体中心の自分となってしまうのです。
自分というものは、生きている間にどうしても、自分勝手になってしまうのです。「自分の好きな物を食べ、自分の好きな事だけして、生きていけばいいでしょ。」と、いう考えもあるでしょう。人生はその考えだけでは済んでいかないのが神のつくった人間界なのです。
次は、再生して生まれてきた人についてです。
再生して生まれてきた人
「再生して生まれたきた人」とは前世があって、あの世に帰り、また人として生まれてきた人のことです。再生は、2回目かもしれないし、3回目かもしれませんし、もっと多いかもしれません。
(例)初回の人生→あの世に帰る→2回目の人生→あの世に帰る→3回目の人生 (但し、生まれ変わるのは同じ霊の別の意識の一部)
再生の目的
再生は、「魂の成長」と「カルマの清算」のために行われます。
もともと、人間の生きる目的は「魂の成長」です。1回の人生では十分ではありません。そのため、何回も再生する必要があります。
「カルマの清算」とは、「前世でつくったカルマを地上での苦しみを通して償う」ことです。償うためには、苦しみが伴います。
本来、神が人間を創造したときには、「魂の成長」を目的にこの世を用意したと言われています。ところが、人間がこの世に生まれると、神の摂理違反をしてしまうために、自分が作り出したカルマを修正する必要があります。それをこの世にいる間に修正してあの世に戻ればいいのですが、十分な償いもしないであの世に戻ると、それを修正するためにまたこの世に再生するというわけです。
このように、再生した人間は、神がもともと人間を創造したときの目的「魂の成長」と「カルマの修正」という2つの目的をもってこの世に再生するというわけです。
この世に生まれてくるのが初めてだという人は、「魂の成長」のためだけに生まれてきたとも言えますが、生きているうちにどうしても「摂理違反」をしてしまうために、同時に「償い」をしていかなければなりません。
この世は「魂の修行の場」として、神が用意された学校のようなものなのです。
初めてであろうが、再生の人生であろうが、関係ありません。今世をいかに霊性を高めようとして生きたかがその人の値打ちなのです。
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