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聖人とは

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聖人とはどういう人のことを言うのか。

こういうことを考えてみました。

聖人と言われる人は、どういう人なのか。

もちろん私は凡人なので、聖人とはこういう人のことを言いますとは言えません。ただ、聖人とはこういう人なのではないかと想像することはできます。ただ、その想像が当たっているかどうかは分かりません。

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聖人の定義から

フリー百科事典『ウィキベディア』によると、「聖人とは一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさす。主に特定の宗教・宗派の中での教祖や高弟、崇拝・崇敬対象となる過去の人物をさすことが多い。 」と示しています。

歴史の中でどのような人が聖人と言われているか

中国では、偉大、崇高・高貴の三要素を兼ね備えている人が聖人とされています。私たちがよく耳にする孔子も聖人として位置づけらています。

仏教では、法然、親鸞、日蓮、空海、最澄が聖人と呼ばれているようです。

キリスト教では、ヨハネ・パウロ二世など。

私の考える聖人とは

私は歴史上の人物について、それほど多くの人を知っているわけではありません。宗教上の人物として、キリストとブッダ、マホメットくらいでしょうか。私の家は、田舎で、昔からお寺があって、その檀家に組み込まれています。私は仏教徒ではありませんが、先祖からお世話になっているお寺の檀家として存在しています。

家族の誰かが亡くなれば必ず、お寺の住職にお世話になります。そういうこともあって、ブッダの教えについては多少勉強しているので知識として知っています。八正道という心の指針があるのを知っています。

しかし、いろいろな書物を読んできて、最終的にはやはり、私が知っている歴史上の人物として、キリスト以上に偉大な人はいないのではないかと思います。仏教を信じている人は、それがブッダであってもいいと思います。

そのキリストがなぜ、偉大だと感じるかは、私が語る必要はないでしょう。これまでの人類の歴史がキリストの偉大さを語っているように思います。

偉大な人ほど、自分のためという我意識が少ないのではないかと思えます。自分中心の発想から全体のことを思う発想に変わっていくのだと思います。自分のためでなく、人の幸せのために生きる人こそ聖人なのでしょう。

昔、田中正三という国会議員がいました。この人の生き方も素晴らしいと思えました。

簡単に言うと、田中正三とは、1890年に第1回衆議院総選挙に当選し、足尾銅山の鉱毒問題に一生を捧げて解決しようとした人です。

この人は、無実なのに殺人の容疑で逮捕されたこともあります。国会で10年もの間無視されてきた銅山問題解決のため、天皇に直訴するということも行って警官に取り押さえられることもありました。このサイトではこの正三さんの詳しい内容については省略しますが、自分の人生を足尾銅山解決のために取り組み、正三さんがなくなったときには、鉱毒反対運動に費やしたお金のために、無一文になっていたそうです。

そういう生き方をした田中正三の葬儀の時には、参列者が数万人とも言われています。

私はこういう生き方をする人も聖人ではないかと思います。

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