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音楽と神様

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神から見た音楽

私は、音楽というものは、神が人間に与えた「楽しみや褒美」ではないかと考えています。

いつの時代から音楽というものが人間社会の中に溶け込んできたのは分かりません。

しかし、音は調和して鳴らされるとき、聞く人の感情にせまるものがあります。

不思議なことに、私たちの知っている音階というものは、その音が調和するように奏でると、人間には、大変心地よい音として聞こえます。

音そのものは、それだけ単体で聞こえると、「ド」ならドの音だけですが、それが、曲の中で流れるようにメロディーを刻むと人に元気を与えたり悲しい気分にさせたりします。

最近、あるテーマ曲の合奏でシンセサイザーの部分を担当することになって、練習しました。昔は、ピアノを習う機会があったので、少しの期間習っていました。そういうことがあって、皆で合奏をすることになり、私は低音のベースの部分を担当しました。

なかなか指は動かないのですが、楽譜にそって音を鳴らすと、よく考えられています。

楽譜はト長調で、へ音記号で書かれているので、苦労しました。ト音記号で書かれていれば、もう少し見やすいのですが、へ音記号の楽譜というのはこれまでに一度も演奏してきませんでした。しかたなく階名を楽譜に書いて練習しました。ところどころ指がついていけない所もあるのですが、8割のパートが演奏できるようになりました。

私だけで演奏するのではないので、他の人に助けられながら曲を演奏できるようになりました。

実は、明日その発表会があります。

合奏によって、皆で演奏する楽しみを感じることができました。

音楽は人間が音を鳴らすことを覚えて生み出してきた歴史があるかもしれませんが、これも神の計画の中にある出来事のように思います。

過去に出た多くの演奏家たちは、自分では築かないままに、音による調和とか、神の調べを感じていたのではないでしょうか。

<後日談>

私たちのグループで、演奏して他の人たちに聞いてもらいました。練習の成果があり、何とか弾けました。観衆からは「アンコール」をもらい、もう一度演奏することになりました。

これを練習することになったときには、もっと優しい楽器の担当だったらいいのにと思っていたのですが、苦労したことも自分の人生を彩る良い思い出となりました。苦労は自分を育てます。

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