脳梗塞で手術後退院して家で生活をしてきた94歳の母。その母は、その後車いす生活となり、トイレは息子の世話にならないとできない状態になりました。
食事は何とか、スプーンを使って一人で食べることのできていました。訪問入浴、デイサービス、訪問診療、訪問介護などをしていた母でしたが、5月18日に2回目の足のケガで手術することになり、そのまま入院。1回目に足のけが(皮膚が10cm以上破れて手術)ではその日に帰宅しました。
脳梗塞で入院したのは、2024年11月26日。
脳梗塞で手術してから約6か月が過ぎました。5月18日に2回目の足の皮膚が破れて手術しました。2回目も帰宅できると思っていたのですが、手術後いろいろ検査して入院を勧められたのでその日から入院しました。
その日は、19時に、弟から電話がかかってきました。すぐ救急車にきてもらい手術をしてもらいました。すべてが終わって家に着いたのは23時頃でした。
最初のうちはそのうち退院してこれまでのような状態で過ごせるかと思っていたのですが、だんだん悪くなり、とうとう病院から朝電話がかかってきて「意識がはっきりしなくなるかもしれない」と言われました。毎日病院に通い、母の状況を見ていましたが、ここ2,3日は、日ごとに悪くなっていくのが分かりました。
病院から電話があって、朝あったときには、まだ私からの声に反応はありましたが、昼には、意識がない状況でした。お医者さんによれば、余分なエネルギーを使わないように脳が反応しているそうです。確かに、酸素吸入をしているのですが、目を開けない今の状態は呼吸は落ち着いています。
このまま平衡状態である日突然に今の状態から沈むようですつまり臨終を迎えることになります。
翌日2回目の電話が朝6時半ころにかかってきたので、すぐ弟と一緒に病院に行きました。
母は、まだ家にいて元気なうちは「この物語はいつまでつづくのやら」と言っていました。自分では歩けない、トイレも息子の世話にならなければできない状態の日々の生活を物語と言っていたのです。
だんだん悪くなっていき、残された日が短いと感じたのか、私が弟に一緒に行くかと誘うと同意したので、数日は毎日一緒に見舞いに行きました。
弟は、ずっと母の世話をしてくれていました。弟は目が不自由なため、私が車に乗せて行かないと病院にはいけないのです。
そして、とうとうその日がやってきました。
前日にお昼に会った時には昏睡状態でした。医師は、母自信が、自然と体のスイッチを一つひとつ切りながら余分なエネルギーを使わないようにしているというようなことを言っていました。
6月10日の朝電話がかかってきてから会ったときの母の目はもう人を見ることができない状態でした。病院について間もない頃、心電図の景気のパルスが0となって、一本の線になりました。それは6時48分頃でした。
そして、看護婦を呼びに行きました。一旦0となったパルスが再び動き出しましたがそれは短い時間で、すぐにまた0になって、その後は、2度と動き出すことはありませんでした。6時50分頃です。
看護婦は医師を呼びに行きました。医師は母の体をいろいろ調べて7時7分死亡の診断をしました。
その後は、弟が入会していた葬儀社に連絡しました。霊安室に9時ころ移動しました。10時に葬儀社の車が迎えに来てくれました。そのまま葬儀場に移動しました。そこで、葬儀社といろいろ打合せしました。
まず、通夜と告別式をいつにするか。死者は24時間以内は火葬することはできません。
一般的には、死んだその日ではなく、翌日を通夜にして、告別式は翌々日となります。しかし、今回我が家では、親戚で参列するのは叔父さん2人と叔母さんだけです。どちらも我が家から車で10分以内に住んでいるところの人なので、すぐに来てもらえる人でした。
世話になっているお寺に問い合わせると、来ていただけるということでしたので、通夜はその日の夜に行いました。
家族葬にすることは以前より決めていました。その時親戚として誰を呼ぶのかも決めてありました。
遠い所に住む叔父さんは92歳なので、連絡だけはしましたが、参列はこちらから辞退をお願いしました。母には96歳の姉と少し歳の離れた妹がいます。こちらについての連絡は忌明け後にすることにしました。母の妹の夫(叔父さん)がなくなったときには、忌明け後に連絡をもらっていたのでこちらもそのようにすることにしました。96歳の姉への連絡もショックが大きいだろうと思い同様に忌明け後にすることにしました。
その他、自治会長、老人会長、組長への連絡を行い、家族葬で行うことを伝えました。
告別式当日は、自治会長と老人会長は参列していただきました。
母の死の後、葬儀社との連絡、寺の住職への連絡、親戚への連絡、自治会長、老人会長、組長へとあわただしく動き、通夜、告別式、火葬、初七日と過ぎました。お寺へのお礼についてはどれだけにすればよいか分からず、同じ組に住んでいて最近葬儀を行った人に聞きました。叔父にも相談しました。それらの情報を元に、葬儀を終えた翌日には、お寺へのお布施を持って挨拶に行きました。
さらには、人が亡くなった場合には、いろいろしなければならない手続きがあるので、市役所に行き、2時間ほどかけて手続きをしました。
まだ、葬儀社への支払いが残っています。
母はもし、手術後入院しなかったなら、もしかすると、もっと長く生きられたかもしれません。というのは、入院を勧められた理由は栄養状態の数値が低いことが原因だったからです。また、熱があることが原因でした。母の体は、食べてもそれを吸収できる力が衰えていたのでどれだけ食べても栄養失調状態でした。医師の見立てでは、入院後の判断として点滴以上の治療はしても良くないということでした。家に帰れば、それなりに食べたいものだけを食べさせることもできましたが、病院では病院食に限られ母が食べたいものでなくほとんど食べられなくなっていました。また、家なら、トイレにも定期的に連れて行き、車椅子に座らせて移動して食事も自分でさせていました。訪問入浴、デイサービス、訪問診療、訪問介護という1週間のリズムがあったので、それなりに動くこともできましたが、入院してからは寝たきり生活となっていたので、弱っていく一方でした。しかし、最後の方では、酸素吸入という処置がされていたので、家ではそういうことはできなかったと思います。
結局、これが運命で、寿命だったのかもしれません。入院中は、看護婦さんが時間ごとに見に来てくれますし、おむつの処理もしてくれます。健康状態もきちんとチェックしてくれます。
私としては、退院後は、今まで通り母の世話をして、どうしても世話ができなくなったら老人施設に入ってもらうことを考えていました。しかし、母が入院中に亡くなるということで、それらのことはもう考える必要がなくなりました。
なんかぽっかり心に穴が空いたようです。
私の父は60歳で亡くなりました。母は父の分まで生きたのですが、亡くなってしまうと何とも言えない気分です。
私は今年68歳です。平均寿命が81歳だとするとあと13年です。叔父たちがそれ以上に生きていますので、もっと生きられるかもしれませんが、同級生ですでに亡くなっている友が何人もいます。
南海トラフ大地震が近いとも言われています。
いつ自分に死がやってきてもいいようにこれから生きていかなければと思います。

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