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ヘレン・ケラーが賞賛した中村久子さん

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中村 久子(なかむら ひさこ)さんは、1897年から1968年に生きた、明治~昭和期興行芸人で作家です。両手・両足の切断というハンデにも拘らず自立した生活を送った女性として知られています。(出展 ウィキペディア フリー百科事典より)

この人について、図書館などには本も置いてあります。

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子どもの頃の久子さん

両手両足を失った小さい久子さんが生きていけたのは、お母さんのおかげでした。当時は、障がい者に対する世間の理解もなく、世間の冷たい目の中で生きていけるようにと、久子さんの母は食事、トイレ、風呂、裁縫編み物、炊事、洗濯ができるよう厳しくしつけたそうです。

2度の夫との死別の後

久子さんは、2度も夫と死別する悲しみの中で、「座古愛子」さんと出会います。17歳でリュウマチにかかり首から下は動かないで30年以上寝たきりの人。女学校の購買部で寝たきりのまま働き、キリスト教の伝道にも身をささげていた人でした。誰一人身寄りがいないのに感謝の毎日を送っていることを知ったのは32歳の時でした。

見世物小屋から講演者になって

久子さんは、見世物小屋の仕事から講演で話をするようになります。しかし、彼女は、自分の話をすることに対して、「己の慢心、おもいあがりであった」と悩みます。「努力とは、自慢する努力でなかった。自分を生かすための努力だった。」と思い直すのです

ここまで自分に教えてくれたのは、両手両足のないこの体なのだ」と考えるようになりました。そして、講演をやめてまた、見世物小屋に戻るのです。「自分に冷たく厳しく当たった人こそ自分を磨いてくれた」と感謝する心になるのです。

中村久子さの残した言葉

●「私は今 明るい歓びに浸りながら 苦あればこそ また滋味ゆたかな人生を 静かに省みつつ味わっている」

●「人生に絶望なし 如何なる人生にも 決して絶望はない

●「私を救ったものは手足のない私の身体 この逆境こそ感謝すべき私の師でありました

●「自分の体について恨む言葉も無く、むしろ障害のおかげで強く生きられる機会を貰った」

中村久子さんは、人間が味わう苦しみ、逆境こそ感謝すべきものだと教えてくれています。

私ごとですが、私が子どもの頃の祖父は厳しいというイメージがあって、逆らう事など絶対できない雰囲気がありました。そんな祖父の元でしたので、テレビも見せてもらえず、勉強か読書するしかなかった環境におかれました。今さらながら、そんな祖父に感謝です。

久子さんの遺言

久子さんは、自分の子どもに自分の体を医学に役立てる為に献体するよう遺言をしました。

最後の最後まで自分のことではなく、人のためにという姿勢を貫いたのです。

「生きるとはどういうことなのか」中村久子さんが教えてくれています。

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