人は、この世に生を受け、たまたま生まれた場所によって国籍が決まります。
これが何回目かの転生であっても、日本に生まれれば日本人ということです。もしかして、前世はアメリカ人や中国人であったかもしれません。
そして、先祖から譲り受けた土地があれば、その土地を生きている間は自分のものとして所有します。これも、自分が死ねばこの地球上に残し借り物を返すだけです。
この体でさえ、生きている間の借り物です。生きている間は自分のものと思い所有していますが、いずれ死ねばこの地球にお返しします。
さて、私はあと何年生きられるのでしょう。私の同級生で仲がよかった友人は、55歳くらいでなくなりました。父は60で亡くなりました。
すでに死んだ父の年齢を超えています。
こどもがまだ中学生と高校生なので、とりあえずは働かないと家族を養えません。年金だけに頼っていては生活が苦しくなることは予想されます。
ただ、私と同業者で退職した人たちは、お子さんも大きくなり、マイペースでのんびりやっているようにみえます。
わたしは、今からバリバリ儲けなければという年齢でもありません。ただ、息子たちがせめて大学くらいまではいかせてあげたいという思いはあります。戦後間もなく生まれたわたしでさえ大学を卒業しているので、その息子たちにも大学まで行かせてあげたいと思うのです。
ただ、息子たちには、その切迫感がなく、目先の楽しみに振り回されている状況になんともしかたありません。
本当は、私は、ある一定の年齢に達したら儲けることは次にして、世間に役立つことをしたいと考えていました。早期退職するなど途中挫折することもあってあれやこれやの人生を歩んでいました。
そうして、現在もいろいろ問題に直面しながらあたふたしている自分がいます。
しかし、「人と人とのトラブルは兄弟のトラブルのようなもの」という考えが浮かびました。
今赤の他人に見えているひとも、実は兄弟だという考えです。他人ではなく、兄弟だと考えれば、いろいろなことが兄弟としての解決策が見つかるかももしれません。
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