私は56才で早期退職しました。
その理由は、当時、その仕事をしている時に自信をなくしていたからです。
今は、その仕事を再度始めて楽しさを感じるようになりました。
退職したことによって、その仕事を客観的な立場で見る機会を得、その仕事のプラス面を見る事ができるようになりました。
後輩がしている仕事を見ると、こうやればもっと良くなるのにと、思う場面があります。
そういう意味において、一度退職したことによる経済的損失は大きいのですが、経済的損失とは別に、もっと別の視点から見る事ができるのです。
「埋め合わせの原理」というものがあるのです。失ったもの以上の価値を得るのです。
この世の中を生きていると、いろいろ経済的に損をしたと思うことがあるでしょう。しかし、それは一面です。人間にとって真実の存在は霊であり、自分に起きる様々な出来事は映画の一コマにすぎないのです。真実を知るためにいろいろな出来事が自分の前に出てきますが、それは映画の一コマのようなものです。
お金で損をした人は、それ以上の魂の価値を得るのです。
損した得したという事を思うかもしれませんが、実は、損をしたと思う時、逆に別の意味で得をしているかもしれません。
「禍福はあざなえる縄のごとし」と、いうことわざがあります。この意味は、「わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸はなわをより合わせたように表裏をなすものであるの意。」です。
このことわざの解釈は人間側から見た解釈です。神の目から見れば、別の解釈をすることができるでしょう。
人間は目先のその時だけでいろいろ判断(これは不幸だとか幸せだとか)するわけですが、神の目から見れば、違った見方ができるのです。
「塞翁が馬」という言葉もあります。中国に由来する言葉です。
今の出来事を不幸ととらえるのではなく、人生の一コマととらえるのです。
私は、もともと、この3月を今の仕事の終わりととらえていました。ところが、上司の求めもあって、8月までは続けることになりました。
二度の上司からの頼みがあり、断りませんでした。これも運命かと思いました。私は、今の仕事の終わりが何月何日になるか未だにわからないのです。しかし、今の仕事に魅力を感じるようになり、このままこの仕事を続けてもいいと思うようになりました。しかし、決め事によって今の職場を恐らく8月に退職することになります。
もしかすると、9月以降新たに今の仕事を続けることができるかもしれません。これも運命だと思う事にしています。
一度は退職した身です。今後、この世において、私が必要とされるのなら、新たにその仕事が舞い込むでしょう。もし、仕事がこなければ、それはそれです。新しい出発を考えます。
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