この世は普通に考えれば真実の世界だと考えます。
実際、けがをすれば痛いです。痛みを感じるときに、これが真実なんだと思います。
ところが、これらも、もしかして、仮想世界という考えがあります。
例えば、おなかが急に痛くなるというような事は良くあります。原因は昨晩のみすぎたお酒のせい。
この痛みは現実にあるのですから、これが真実だと普通思います。
確かに、ある一面において真実なはずです。ところが、これを魂というか霊という視点から見ると、違った見方ができます。
私たちの本体が霊としてあの世に存在するという考えです。あの世にいる本体が、この世の体験を通して真実と感じているわけです。この世の体験がウソだというわけではありませんが、これを感じているのがこの世にいる自分というよりはあの世にいる本体の霊が感じている。
これは、例えれば、ゲームをしている自分と、実際にゲームの中で動いている自分の代わりに動いている自分との関係に似ています。
ゲームをしているのはあの世にいる霊だとします。ゲームの世界で動いてる自分がこの世で動く自分です。
ゲームならリセットすれば、もう一度やり直しができますが、1回きりの人生においてはやり直しはありません。死んだらあの世に帰り、新しい父母の元で再生するしかありません。
そういう意味においては、この世に生まれたことは、千載一遇のチャンスととらえ一生懸命生きることがとても大切です。
ところが、その生きる事の意味を知らず、好きな事ばかり追い求め(例えばゲーム)、今しなければならないことから離れているのは後になってから
「あー、しまった。もっと、あの時にがんばっておくべきだった」と、思うのです。
ところが、ゲームに夢中になっている年代にはその事に心から気づくことは難しいのです。
人生とはどういうことか。何のために自分は生まれ生きているのかという自分自身に対する問いかけをしないときには、それを悟ることはできません。
できれば、生きている意味について早く気付けば良いのですが、それができない人にとっては難しいことです。
ただ、世の中には、生きる意味を真剣に考えながら、間違った方向に進んでしまう人もいます。
警察に逮捕することになったある教団に入った人も、人生を真面目に考えたと思います。しかし、教祖の間違った教えを信じ、その言葉通りに動いて、結局犯罪者として裁かれることになった人もいました。
私も若い頃、2つほどの宗教に顔をつっこみ、その当時はそれこそが一番大事だと感じた時がありました。
その当時は、それが最高の教えのように思っていました。
ところが、その宗教とも離れ、歳を重ねると、本当に生きている意味が別の視点からもみえてくるのです。
どこかの宗教団体に入っているから素晴らしいのではありません。
生きているということはどういうことかということを自分自身の内面に問うと、それなりの答えが分かってくるのです。
この地球上に生まれている人間は皆兄弟なのです。
それぞれ霊としての発達段階は違うかもしれませんが、元々神の分霊として生まれました。
共通の親である神からの分霊なのです。そのため、生まれた国によって差別し、相手を蔑視することは自分の兄弟を差別したり蔑視したりしていることと同じなのです。
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