前回の投稿で、私は、お金の貸し借りで困っていることを投稿しました。
さて、こういう事象を神の視点から見たらどのように見えるのでしょう。
神は大霊です。そして、人間も霊です。
この世におけることは、すべて霊の成長のためにあります。自分に起きる出来事のすべては霊として成長するためにあるということです。
人間に生まれると他人と自分という関係になりますが、神からすれば、神がそれぞれに与えた霊としての命です。
場合によっては、命を失うような試練も与えられます。事実、私の家の前の息子は大学を卒業して23歳で亡くなりました。その両親の悲しみは想像できません。100万円で命が返してもらえるのなら喜んで支払うことでしょう。
私と知人とのお金の貸し借りも、神の目から見ればたいしたことではないのかもしれません。
もちろん、当事者の私には大きなお金でそれがきちんと返してもらえるのかどうか不安です。
今更不安になるくらいならお金を貸さなければよかったのですが、その時はお金を相手の銀行に振り込んでしまうような精神状況でした。
人生は、いろいろ体験して苦しむから成長があるのでしょう。弟は、そのことも「勉強代」と、言いました。
よく言いますよね。お金で損失を受けた時に、勉強代と。
実際には、まだ、1年たっていないし、相手の言い分からすれば、念書の通りなのでまだ、実害が確定したわけではありません。株なら、株の値段が下がれば確実に現金割れということもあります。
相手がきちんと1年後に返してくれれば問題ありません。
神の目から見れば魂の兄弟同士の問題です。人間どうしの感覚では、きちんと返してくれるの?という、不安はあります。
しかし、私が人として、そういう行動をとったのですから、その結果については責任を負わなければなりません。
お金を出したのに、そういう悩みを持つのは割が合わないと思いますが、相手が私からの要求に対して応じないなら仕方ありません。本当の友人ではなかったということでしょう。
昔、小学校からの同級生に300万円貸したことがあります。その友達はきちんと返してくれました。親友ともいえる存在でした。友人は設計士でした。阪神淡路大震災が起きて、500万ほど、回収できなかったと言ってました。その友人から私の家の設計をさせてくれないかと言われ、応じました。
家はすぐには建てないけれど、ということで依頼しました。設計料に何百万と支払いました。
ある人と出会い、その設計料はそんなに必要ないと教えられました。設計図ができて、紹介された建築屋に家を建ててもらいました。
今から思うと、設計図を描いた友人に支払ったお金は本当はそんなに高い料金を支払わなくて済んだかもしれません。しかし、このことによって、友人はその設計料で当面の生活の助けになったのでしょう。
その後紹介された建築屋さんに家を建ててもらいました。その建築屋さんもうまくいかなかったらしく、私の家が建った後、倒産してしまいました。
たぶんですが、家は建てたのに、きちんとお金が回収できなかったためだと思います。
私の家のことで相談しようと思って電話してもつながらなくなりました。倒産したためです。それで、私の家を建てた電機屋さんに電話したら、その電機屋さんも建設会社の社長からお金を回収できず、困っているという話でした。
なぜ、そうなったのか。おそらくですが、社長はいろいろ家を建てるために、依頼主と契約を交わして家を建ててきたのですが、依頼主からきちんとお金がもらえず、資金ぐりにこまったということだろうと思います。私は、きんと支払いましたが、金額が例えば1000万とか700万とかの金額でしたので、その支払いができなかった人もいたのでしょう。
社長としては、きちんと支払ってもらえれば問題なかったと思いますが、きちんと支払わない人がいれば、社長自身が支払わなければいけないところに払えなくて倒産したと考えられます。
経営者は、本当に支払い能力があるかどうか、もし、支払ってくれなかったらどうするかまできちんとしていく必要があります。
倒産すれば、いろいろなところに迷惑がかかるのですから、その迷惑がかからないようにする責任があると思います。
電機屋さんも、社長からお金がもらえず困っていました。社長も、困ったと思いますが、家の建設を依頼した人の支払い能力を見極め、きちんと担保をとっていくことが必要でしょう。
さて、私の場合ですが、もし、貸したお金が返してもらえなかったらどういう方法があるか。その点について弁護士に相談する必要があります。
さて、神から見た民事問題です
同じ魂の兄弟ですが、約束がきちんと守れるよう願っているでしょう。
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