どんなことでも、平らになるということ
波は一度は高くなりますが、下がって平らになります。
深く下がったときには、また、もとの平らな位置に戻ります。
人生には、この公平の原則が作用しています。
どんな苦しみがあっても、どんな喜びがあっても、また、平らな位置に戻ります。
今、日本ではマスクが不足しています。ある議員さんは、たくさん持っていたマスクを高く売ることができて多額の利益をえました。ところが、その事実が他人の知るところとなり、世間から非難を浴びています。
これをしたのが、議員という立場でなかったら、避難されずに済んだかもしれません。議員という仕事は、社会に貢献する立場の人なので、世間がマスク不足で困っているときに、その情勢にのっかって一儲けしたことを非難されています。
今は、コロナウィルスのために、普通の生活が送れない状況です。オリンピックさえ危ぶまれています。学校は休校で、いろいろな催し物が行われない状況です。こういう状況でも、それをうまく経済活動につなげる人もいるわけです。
議員さんは皆から非難される道を選んでしまいました。マスクが買えない人がまだまだたくさんいるのに、そのマスクを売って高額の利益を得たことに対して不満を持つ人が避難しているわけです。
実は、その議員さんだけでなく、マスクが高く売れるからと高額で出品している人はたくさんいます。中国では、とんでもない罰金を言い渡された人がいます。日本政府も、マスクの高額転売に対する法律ができるようです。議員さんのマスクは転売ではなかったそうですが、議員という立場が悪かったのでしょう。
議員さんは高額のお金を得たのに、結局世間からバッシングを受け、その得たお金以上の信用を失うことになりました。これも公平の原則です。
同様のことが私に関わる人生においてもありました。
親戚に私の先祖からの財産を奪われたことがありました。しかし、その親戚の家は火事が起こり、事業で失敗し、大きな病気になり、兄弟同士がけんかをしてうまくいっていません。
私の土地に生えていた大木を私に断りもなく、切り倒し、泥棒していった人がいます。その人がどういう人かは知りません。しかし、結局、他人の土地に生える大木を勝手に切り倒し儲けたとしても、その人はそれ以上のマイナスの出来事に遭遇しているでしょう。
公平の原則というのはどんな場合も、誰にでも作用する神の法則です。
人間が裁かなくても、神の摂理によって作用する仕組みになっているのです。
今、苦しんでいる人も、いずれ平安の世界に戻れるのです。
イエス様の言葉にこういう言葉があります。
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」
誰から慰められるのでしょうか。友ということもあるでしょう。この言葉の真の意味は、「神からの慰めこそ、真に心の底から与えられる慰め」なのです。
こういう言葉もあります。
「悲しみは笑いにまさる。」
「悲しみを経験しない人は、神の慰めも経験できません」
人間はすべからく、この悲しみによって目覚めるのです。
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