神はいつから存在するのでしょう。
仮に1000000000000億年前に生まれたとします。
ところが、そうなると、1000000000000億年より以前は何があったのかという話になります。ということは、神はどこまで遡っても存在しないとおかしいということになります。神はそれでは、何によって創られたかという疑問を持ちます。神は創造者であって創られた存在ではありません。もし神が創られたということなら、その神を作ったものが存在することになります。そうなると、その神を作ったものは何によって創られたかという新たな疑問がわくことになります。
こういうことは、どれだけ考えても結論がでません。
ここに空間があり、その空間の中に何か物があるという事実。その空間が無ではなく、空気の存在する場があることが不思議です。空気の存在する場があることに普通の人は疑問を持たないと思いますが、私は、その「場」が意図的に用意されて「有る」ということが、ある意味不思議な現象だと思います。
シルバーバーチは、次のようなことを言っています。
「私は生命とは霊のことであり、霊とは生命のことであり、初めも
終わりもないと説いております。
霊を物質の中に閉じ込めてしまうことはできません。物資というのは
霊のいたってお粗末な表現でしかありません。
物質界に生きる人間は視覚と聴覚と触覚と嗅覚と味覚の五つの感
覚でしか物事を判断することができませんから、その五感を超え
た生命の本質を理解することはまず無理なのです。
そうした限界の中で生きているかぎり、その限界の向こう側にあ
るものが理解できるわけがありません。
そこで次のような結論となります。すなわち宇宙は自然法則によって
表現されていること、その法則の背後にある叡智は完全であること、
しかし人間は不完全であるためにその完全さを理解することができな
いということです。
人間が個体性を具えた限りある存在である以上、個体性のない無限
の存在を理解することはできないのです。
これはとても難しい問題ですが、少しでも理解の手助けになればと
思って申し上げてみました。」
『シルバーバーチの霊訓』(7)P143/2
シルバーバーチによれば、霊には始めも終わりもないのです。神は霊であり大霊です。そして、人間は大霊の分霊と言われているのです。人間はかつては大霊の一部分であったということは、人間は、始めのないときより神の一部として存在していたということになります。始めがないなんてあり得ないと思うのが普通ですが、もし始めがあるなら、その始めの以前はどうなっていた?という疑問が発生するのです。神の完全性が徐々に構成されていったと考えると、果たしてそうなのかという新たな疑問がわいてきます。
人間の体の構成を考えると、神の設計図は完璧でこれを超えるものはありません。人間がどれだけ科学が進んだとしても、せいぜい、機械的なロボットのようなものを作れるしかありません。(現段階において)けがをしたら、血を止め、自動的に皮膚が再生するようなものを現在の科学で作れません。自動的に再生する皮膚のようなものができたとしても、その物質そのもの存在を与えているのは神です。再生する仕組みを利用するところまではできるかもしれません。体内にウィルスが侵入したら、体内における白血球などによって体内を守るというような仕組みを作ることが人間にはできません。予防注射のような薬を作れたとしても、それも、人間は神が創ったものを利用しているにすぎません。今までにない合金を作ったとしても、その合金になる元の原料は神が用意されたもので、その元なる物質を利用しているだけです。
コメント